みなさん、こんにちは。
心理カウンセリング空の関口剛史です。
私は、これまで心理学・哲学など、いろいろなことを学んできましたが、どの学びも頭でわかったようで、心では納得できない感じが続いていました。
「もっと、人間の本質を捉えた学びはないか?」と模索していたときに出会ったのが「二宮金次郎」の思想でした。
二宮金次郎を学べば学ぶほど、現代(令和時代)が二宮金次郎が活躍する前の時代ととても似ていると感じます。
このままでは、二宮金次郎が活躍した「心が荒廃する時代」になってしまうと思うので、「心の荒廃」を立て直した二宮金次郎について書いてきます。
二宮金次郎とはんな人?
本名:二宮金次郎
(34歳頃から小田原藩で「二宮金次郎」と書かれる。諱(いみな)が二宮尊徳)
1787年(天明3年) 相模国足利上栢山村(現:神奈川県小田原市栢山)の裕福な農家の長男として誕生。
酒匂川の氾濫から両親・本家の田畑をすべて失い、親戚の住み込みから本家を復興。その復興手腕が評価され、小田原藩主から桜町領の復興を命じられ、約10年で復興させる。
桜町領の復興が評価され、その後、飢饉や疫病や災害により、荒廃した600以上の村を、報徳思想をもって復興させた人。
報徳思想とは
二宮金次郎の思想には「報徳思想」と「一円融合」がある。
一円融合が抽象的な世界観(人間のあり方)で、報徳思想が具体的な指針(人間の生き方)。
二宮金次郎は報徳思想をもって、荒廃した村と、村人の心を復興させた。
報徳とは、論語の以徳報徳(徳を持って徳を報いる)こと。
報徳思想は至誠・勤労・分度・推譲の基本方針と積小為大の行動方針からなっていると個人的には思う。
至誠
至誠とは、誠・誠実な心を持つこと。
嘘をつかず偽らず奢らず、誠実な心を意識しながら、人々や仕事や出来事に向き合うこと。
至誠が報徳思想の土台となる。
勤労
勤労とは、お金を得るために働くのではなく「推譲」のために働くこと。
「推譲」を生み出すために、物事をよく考えて働くことが、報徳思想の勤労となる。
分度
分度とは、身の丈にあった生活や生き方をすること。分度で難しいのが「身の丈を知る」こと。
二宮金次郎は、分度を図るために、復興する人や村を徹底的に調査をして分度を決めていた。
報徳思想では、推譲を生み出すために分度がとても重要視されていた。
推譲
推譲とは、至誠の心で分度を守り勤労したことで生み出される余剰のこと。
余剰は、次世代への投資(インフラ開発など)と、勤労の功労者への報酬に充てるために使う。
積小為大
積小為大とは、小さな積み重ねが大きな結果をもたらすということ。二宮金次郎の夜話には以下のように書かれている。
大事を成し遂げようと思うものは、まず小事を務めるがよい。
大事をしようとして、小事を怠り、できないできないと嘆きながら、行いやすいことを努めないのは小人の常ねである。およそ小を積めば大となるものだ。
~二宮翁夜話 福住正兄著より引用~
二宮金次郎が、服部家の再建を行う際の、釜でご飯を炊くときのエピソードが、報徳思想を表している。
再建に向けて、釜でご飯を炊くときの薪を4本から3本に減らすように決める。(分度)
3本の薪でご飯を炊くためには、釜の熱効率を高めるため釜に付着した炭をきれいに落とす。(勤労)
1日2回ご飯を炊くと、1日2本の薪に余剰がうまれる(推譲)
年間で720本の薪に余剰がうまれ(積小為大)、その余剰で借金返済と功労者へ報償(至誠)をする。
令和時代が二宮金次郎が活躍する前の時代と似ている3つのポイント
二宮金次郎を勉強すればするほど、令和の時代が二宮金次郎が活躍する前の状態に似ていると感じる。
そのポイントを3つご紹介します。
自然災害の多さ
最近は観測史上初となる異常気象が多く発生しているが、金次郎が生まれた時代も富士山や浅間山の噴火など自然災害、飢饉や疫病などが多く発生していた。
世界に日本人を紹介した内村鑑三著の「代表的日本人」には、以下のような出だしで二宮金次郎を紹介している。
19世紀のはじめ、日本の農業は実に悲惨な状況にありました。二百年の長期にわたって続いた泰平の世は、あらゆる階層を問わず人々の間に贅沢と散財をもたらしました。
怠情な心が生じ、その直接の被害を受けたのは耕地でありました。多くの地方で土地からあがる収入は三分の二に減りました。かつて実り豊かであった土地には、アザミとイバラがはびこりました。耕地として残された、わずかな土地でもって、課せられた税のすべてをまかなわなければなりません。
どの村にもひどい荒廃が見られるようになりました。正直に働くことがわずらわしくなった人々は、身を持ち崩すようになりました。慈愛に富む大地に豊かな恵みを求めようとはしなくなりました。
代わって、望みない生活を維持するために、相互にごまかしあい、だましあって、わずかな必需品を得ようとしました。諸悪の根源はすべて道徳にありました。
「自然」は、その恥ずべき子供たちには報酬を与えず、ありとあらゆる災害を引き起こして、地におよぼしました。そのとき、「自然」の法と精神を同じくする、1人の自分が生まれたのです。
~代表的日本人 内村鑑三著より引用~
内村鑑三の文章は、人間の心が荒れたから、地球はありとあらゆる災害を引き起こしたとも読み取れる。
今の自然災害の多さは、もしかしたら人間の心が関係しているのかもしれない。
復興補助金のばらまき
二宮金次郎は、小田原藩に登用され桜町領の復興を命じられた。
荒廃する前の桜町領は4000石の石高と農家433軒あったが、冷夏や自然災害により1000石に低下し農家は150軒にまで減少。
小田原藩は、桜町領を復興させるために、多くの補助金と役人を派遣していたがどれも効果がなく、二宮金次郎を抜擢した。
二宮金次郎は、桜町領復興にあたり小田原藩主に以下のように「補助金の中止」を求めた。
以前、殿様は桜町領再建のために、援助費とか補助金とか言って、多額の金を下(か)賜(し)されました。しかし、お金を貸されたために、かえって再建が成功しなかったのです。したがって、今後は決して一両も貸さないようにお願いします。
殿様がお金をくださるのはありがたいことですが、お金をくださると、人々はいつもお金をいただくことばかりを願って、殿様のお恵みに慣れてしまい、かえって勤勉の気力を失ってしまうからです。またそのお金をめぐって、「名主がお金を手に入れようと不正を行った」と村人は言い、名主は、金が村人の勝手にされることばかりを心配して、お互いの間がうまくいきません。互いに非難しあったり、自分の利益のことばかりを考えて、人の心は荒すさみ、かえって復興がうまくいきません。これは、金のよって復興としようするからであります。
荒廃した土地を開墾するには、荒廃した土地自身の力をもってやり、貧しい者を救うには貧しい者自身の力をもってやればいいのです。
たとえば、荒廃した田を一反開墾し、そこから一石の米が生産できたとします。半分の五斗は食料としますが半分の五斗は蓄えておいて、来年の耕作の元手とする。毎年このように余剰を残しながら耕作を続けて工作を続けていけば、とくに金を投入しなくても、多くの荒れ地を開墾することができるわけです。秘訣はとれた米を全部食べてしまわないで、その一部を貯蓄している点にあります。~二宮翁夜話 福住正兄著より引用~
コロナ禍となり、様々な補助金が配らたが、その結果、補助金詐欺も横行している。
また、現在(2021年12月)でも、18歳以下を対象にした補助金を巡って、クーポンにするかどうかなどの様々な議論がなされてるが、どれも経済的・精神的復興には遠い議論なのだと個人的には思う。
お金を配るだけでは、人の心は復興できないのは、今も昔も変わらないのだと感じる。
分度を守れない役人達
桜町領が荒廃した理由は、重い年貢(税金)にあった。
当時の年貢は村請制といい、村全体で決められた年貢納め、決められた年貢を納められないときは村人が借金をしてでも納める仕組み。
桜町領の年貢は4000石と定められていたが、自然災害や冷夏などの影響により4000石分の米が収穫できず、村人は働いても働いても借金が膨れ上がる一方。
その結果、村人は勤労意欲を失い博打に明け暮れる。村を出て行く人も増え、桜町領の石高は1000石にまで低下。
二宮金次郎が桜町領を復興させる際、以下の政策を定めた。
- 補助金の廃止
- 復興期間を10年と定める
- 復興期間中の年貢を900石とする
- 10年後には年貢を2000石とする
- 復興期間中余剰は復興費用に充当する
- 移民の定着化(住居・道具の提供)
- 報徳金(無利子貸し付け)金の設立 (金次郎の個人資産から捻出)
- 善行者の積極的な報償
二宮金次郎の政策を考えると以下の目的を達成しようとしていることがわかる。
- 村人が安心してやりがいを持って働ける環境づくり(勤労) (適切な税率・無利子の借金))
- 役人に身分相応の暮らしをさせる(分度)
- 余剰を復興費用に充当する(推譲)
- 善行者の積極的な報償(至誠)
しかし、二宮金次郎の政策を1番渋ったのが役人達。
役人の立場から見れば4000石入っていた税収が今後10年は900石となり、10年後も2000石にしかなりません。役人も4000石の生活から900石の生活へ切り詰める必要があったため。
先日、国会議員1人当たり月々100万円、年間1,200万円が支給されている「文書通信交通滞在費」が議論されていましたが、結論は先延ばしになった。
いま日本では、飲食店以外にも海外からの部品だ届かないために仕事を受注できないなどの様々な業種でダメージを受けているところが多いにもかかわらず、国の代表である政治家達が自分たちの分度を見直すことをしない。
きっと、コロナ禍のためにばらまた補助金は未来の税金となるはず。
そのときに物価が上昇し、働いても働いても生活が苦しく、税金が高いとなると桜町領が荒廃した流れと一緒になる。
いまの日本全体の流れが、心が荒廃していく流れに見えるのは私だけでしょうか。
小学校に二宮金次郎の銅像が設置された背景
きっと、日本人の多くは「二宮金次郎は知っているけれど、何をした人か知らない」という状態だと思う。
その理由は、二宮金次郎の銅像が小学校に設置されている(設置されていた)にもかかわらず、道徳や歴史で二宮金次郎を一切取り上げていないから。
なぜ、昔の人たちは全国の小学校の二宮金次郎が設置したのだろうか?
それは、二宮金次郎の思想と活動を伝記とした「報徳記」が、明治時代中期の「修身教科書」に記述されていたから。
その流れをうけ、昭和初期に日本全国の小学校に「二宮金次郎像」が設置された。
きっと、当時の学校では、二宮金次郎の銅像の前で、子ども達に修身(道徳)を教えていたのだと思う。
しかし、近年は銅像の老朽化、「歩きスマホを助長する」「児童虐待だ」などを理由に銅像が撤去されつつある。
道徳を忘れた経済は罪悪である
二宮金次郎は「道徳を忘れた経済は罪悪である。経済を忘れた道徳は寝言である」と語っています。
道徳(至誠)がないと、勤労と分度が維持できず、その結果、推譲が生み出せず、少ない推譲を奪い合うようになる。
逆に、道徳(至誠)だけを重んじていても、推譲が生み出せなければ、社会は発展しない。
至誠の心で勤労し、分度を守ることで、推譲を生み出していくのが、報徳仕法の考えかたです。
いま、人を騙す詐欺が横行しているのは、少ない余剰を奪い合っている社会だからだと思う。
その社会を変えていくには、二宮金次郎の考え方や道徳を学び直す必要があるのでないでしょうか。
「世の中は、知恵があっても学があっても、至誠と実行がなければ事はならない」
まとめ
二宮金次郎が活躍する前の時代と、令和の時代はよく似ています。
自然災害の多さ、疫病の発生、輸入が途絶えれば日本は飢饉に追い込まれることも考えられます。
二宮金次郎は、荒廃した村や村人を報徳思想で復興させた人です。
できることなら、社会や人々の心が荒廃する前に過ちに気づき、少しずつ修正していけたらいいと個人的には思います。
そのためにも、二宮金次郎の思想や道徳観を学び直す意味を再考する必要があるのではないでしょうか。
コメント