令和の時代に「二宮金次郎」が必要な理由

みなさん、こんにちは。

心理カウンセリング空の関口剛史です。

最近、自分勝手で自己中心的な理由で事件・事故を起こす人が増えています。

不自由なく生活ができている日本なのに、なぜそのような事件・事故を起こしてしまうのでしょうか。

それは、物質的豊かさゆえの「心の荒廃」が進んでいるから。

これからの令和の時代、1人ひとりが心を取り戻すために、二宮金次郎の「報徳思想」を学ぶことが大切です。

二宮金次郎シリーズの最後に「報徳思想」についてご紹介します。

目次
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二宮金次郎が活躍した時代と令和の共通点

二宮金次郎が活躍した江戸後期と令和の時代の共通点は「心の荒廃」です。

二宮金次郎[1787~1856]は、江戸後期の農政家・思想家で、飢饉などにより荒廃した村を再興させた人物。

二宮金次郎が村を再興させた手法のひとつに「心田開発」があります。

「心田開発」とは、荒れた田は耕すことで再び米が育つように、荒れた心を耕すことで人間が育つという考え方。

実際に、飢饉により生きる気力を失っていた村人の心を耕すことで、再び生きる気力を取り戻させて、数多くの村を復興させました。

飢饉により苦しんだ江戸末期と、食べることに困らない令和は真逆の時代です。

しかし、最近の自分勝手で自己中心的な事件・事故が起きるのは「心の荒廃」がはじまっているからです。

なぜ豊かな時代に心が荒廃してしまうのか、それは、物質的に豊かすぎるからです。

飢饉により心が荒れた時代、豊かさにより心が荒れる時代、きっかけは違いますが「心が荒れはじめている」という点では共通です。

物質的に豊か過ぎると心が荒廃する理由

なぜ、豊か過ぎると心は荒廃してしまうのでしょうか?

その答えは、自然界を観察すると見えてきます。

例えば、野菜や米を作るときに、必要以上の肥料を大地にまくと何が起こるでしょうか?

土に栄養分が多すぎると、植物は実をつけることはせずに、葉っぱだけが茂るようになります。また、根を大きく張る必要性がなくなり、多くの実をつけたとしても、その実りの重さで根元から倒れてしまいます。

土の中の養分バランスが崩れ、生態系が崩れはじめると、最後は砂漠化して不毛の土地になります。

米を植えたらひえ(雑草)が生えるように、朝がくれば夜がくるように、自然界は「陰陽の法則」で成り立っています。

「陰陽の法則」では、陰・陽どちらかに傾き過ぎてバランスが崩れると、消滅もしくはバランスを取り戻す浄化再生のプロセスがはじまります。

二宮金次郎が活躍した江戸末期、食糧難で苦しんだ戦後の時代を陰とするならば、文明が高度化した大正時代、情報網が発達した平成・令和の時代が陽となります。

陽側に傾き過ぎた現代は、心の荒廃がはじまり、不自由ない生活のなかでも、幸せや豊かさを実感することができず、心を満たすことを知らず、その結果、自分勝手な事件・事故が起こる時代になってしまいました。

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令和の時代に二宮金次郎が必要な理由

令和の時代に二宮金次郎が必要な理由は、心の荒廃を立て直すこと、すなわち心田開発を行う必要があるからです。

しかも、陰側に傾いた時代にバランスを取り戻すことよりも、陽側に傾いた時代のバランスを取り戻すこと方が、遙かに高度で難しいこと。

飢饉で苦しんでいる時代であれば米を育てる目標とし、戦後の焼け野原からの復興であれば物質的豊かさを社会の共通目標とすることで、ひとり一人が目標に向けて行動を起こせました。

しかし、豊かな生活のなかでは、ひとり一人が明確な目標を見つけることが困難です。

貧しいときから豊かになることよりも、豊かさの中から本当の豊かさを見つけることの方が、遙かに難しい。

では、豊かさから本当の豊かさを見つけるにはどうすればいいのでしょうか?

それは、陰の時代に二宮金次郎がひとり一人の村人の心を耕して再興させたように、陽の時代もひとり一人が心を耕して、心を見つめ直し生きる意味や目的をしっかりと考えようとすること。

具体的には、二宮金次郎の「報徳思想」を実践することです。

「報徳思想」とは?

「報徳思想」とは、二宮金次郎の考え方・思想のこと。

報徳思想の根幹にある考えが「至誠」「勤労」「分度」「推譲」の4つで、その4つを実践するうえの行動方針が「積小為大」です。

そして、1人ひとりが「報徳思想」を実践した先にあるのが「一円融合」となります。

松沢成文 著 「教養として知っておきたい二宮尊徳(二宮金次郎)」を引用しながら「報徳思想」について解説します。

「至誠」とは、 まごころを尽くすことで ある。「わが道は至誠と実行のみ」という尊徳の言葉にあるように、まごころを尽くして人生と向き合い、なすべきことと向き合うことは、尊徳の思想のベースといえよう。

「勤労」とは、何も考えずにただガムシャラに働くことではない。物事をよくよく観察し、認識し、それをもとに知恵を磨きつつ働くことである。こうして前向きに積極に働けば、新しい価値を創造できる。その意味では報徳仕法にいう勤労は、知恵を育み自己を向上させる 良き手立てでもある。

「分度」とは、自分の置かれた状況や立場をわきまえ、それにふさわしい生活を送ることである。尊徳の報徳仕法においては、この分度を立てることを最も重視する。

分度を立てるとは、どの程度の生活をするか、それを決めることである。立てた分度のとおりに生活ができれば、倹約も達成されたことになる。

「推譲」とは、分度を守り、勤勉に働き、その結果として生じた果実を積み重ね、やがて生じる余剰を「家族や子孫のために蓄え たり(自譲)、 他人や社会のために譲ったり(他譲)すること」によって「人間らしい幸福な社会が誕生する」という教えである。

報徳思想、報徳仕法の神髄ともいえる教えであるといっても過言ではない。

松沢 成文著 「教養として知っておきたい二宮尊徳」より引用

二宮金次郎は、真心を尽くし、勤勉に働き、分度をわきまえ、余剰を子孫や他者に譲ることが、人間の生き方と説いています。

しかし、「至誠」「勤労」「分度」「推譲」を実践するのは難しいことです。そこで、行動方針として「積小為大」を勧めています。

「積小為大」とは、小さな 努力、小さな蓄積の累積が やがては大きな収穫や発展に結びつくということである。

逆にいえば、小事を大切にして努力継続しなければ、決して大事を成し遂げることはできないという教えである。

松沢 成文著 「教養として知っておきたい二宮尊徳」より引用

「至誠」「勤労」「分度」「推譲」を意識しながら、今の自分にできることコツコツと行動を積み上げていくことで、心が耕されていきます。

そして、1人ひとりの心が耕された結果として、「一円融合」の社会になると説いています。

「一円融合」とは尊徳の世界観であり、報徳思想の到達点ともいえる。つまり、すべてのものは互いに働きあい、一体となって結果をもたらすという世界観である。

たとえば一粒の種は、水、温度、土、日光、養分など、様々なものの徳が一つに融けあって初めて花を咲かせ実を結ぶ。人間の社会も同じで、一円融合があるから幸福な社会が誕生すると説く。

松沢 成文著 「教養として知っておきたい二宮尊徳」より引用

アドラー心理学の「共同体感覚」と二宮金次郎の「一円融合」考え方は不思議と一緒です。

それは、人間としてあり方はいつの時代もどの世界でも共通だからです。

まとめ

昔の小学校には二宮金次郎の銅像がおかれていました。

それは、銅像を子ども達に見せながら、人間としての生き方や「心田開発」や「報徳思想」について教えていたから。

しかし、銅像の劣化による倒壊の恐れや、「歩きスマホを助長する」といった理由で撤去されました。

最近、自分勝手な事件・自己が多発するのは心の荒廃がはじまっているから。

その理由は、子どもの頃に「心のこと」を学ぶ機会がなかったからではないでしょうか。

また、最近の異常気象を見ていると、陽側に傾きすぎた社会に対して、地球の浄化プロセスがはじまりつつあると感じます。

令和の時代に、二宮金次郎を復活させることはできませんが、二宮金次郎の思想・考え方を学び、実践することはできます。

このブログが、二宮金次郎のことを知り、「報徳思想」を学ぶきっかけになってくれるとうれしく思います。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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