『弱いものいじめ』で本当に弱いのは誰ですか?

    みなさん、こんにちは。

    心理カウンセリング空の関口剛史です。

    先日、教育する立場の教師が教師をいじめていたというニュースを見ました。

    心理カウンセリング空のホームページでアクセス数No1の記事が「自分よりも弱い者をいじめる心理」です。

    いまの日本社会では、弱いものいじめやパワハラが横行しており、「弱いものいじめ」で検索する人が多いようです。

    でも、どうして今の日本では、弱いものいじめをする人や権力を使ってパワハラをする人が増えてしまったのでしょうか。

    それは、人間として弱い人が増えたからです。

    今日は「弱いものいじめで本当に弱い人は誰ですか?」について書いていきます。

    目次
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    弱肉強食の世界だから、弱いものいじめは仕方がないこと?

    以前「弱い者いじめは、弱肉強食の世界だから仕方がない」という意見を聞きました。

    しかし、その意見は間違い。なぜなら、自然界の中で弱い者いじめをする者はいないから。

    弱肉強食とは、字のごとく強者が弱者を食べること。

    目的は、強者のいのちをつなぐため弱者を食べることであり、強者に食べられる弱者もより弱い者を食べて生きている。

    自然界は、そうやってお互いがお互いのいのちを食べて成り立っているもの。

    自然界では、強い者が弱い者を食べることはあっても、強い者は弱い者をいじめることはない。

    それなのに、なぜ私たち人間だけが弱い者をいじめてしまうのだろうか?

    人間だけが弱い者をいじめる理由

    それは、人間は夢や希望など生きること以外の欲求をもてる反面に、その欲求を満たすことができないフラストレーションを抱えるから。

    フラストレーションとは

    欲求が何らかの障害によって阻止され、満足されない状態にあること。

    その緊張によって攻撃的になりやすい。欲求不満。要求阻止。

    ~デジタル大辞泉より引用~

    動物が弱者を食べることがあっても弱いものいじめをしないのは、今日を生きることと食べること以上の欲求がなく、フラストレーションを抱えないから。

    一方、人間は、夢や希望など生きること食べること以上の欲求を持てる反面、その欲求が満たされないと心の中でフラストレーションが高まる。

    フラストレーションが高まり、発散する矛先が他者に向くと弱いものいじめがはじまる。

    弱いものいじめは、弱い者をいじめることが目的ではなく、いじめをすることでフラストレーションを発散させる行為。

    いじめをそう捉えると、本当に弱い人は誰なのかが見えてくる。

    『弱いものいじめ』で本当に弱いのは誰ですか?

    弱いものいじめについて考える時、いじめている人を「強い人」、いじめられている人を「弱い人」と簡単に見てしまう。

    しかし、本当にいじめられている人が「弱い人」なのだろうか?

    「群れ(仲間)」「権力」「匿名」など、いじめはいじめる側が優位な状況で必ず行われる。群れを作り権力を使い、ネットでは匿名で他者を攻撃する。

    では、なぜ権力や匿名を使わず、正々堂々と1対1でいじめないのだろうか?

    それは、自分1人だけでいじめてもフラストレーションが発散できないことを知っているから。だから、「群れ」「権力」「匿名」など優位な状況でフラストレーションを発散させようとする。

    しかし、自分のフラストレーションを自分で発散できない人が1番弱い人。

    なぜならば、フラストレーションは、自分の欲求を自分で満たすことができない『自分の弱さ』から溜まるものだから。

    『自分の弱さ』がフラストレーションの溜まる原因なのに、自分を変えることも高めることもせず、社会や他者のせいにしていじめることでしか発散できないのは1番弱い人間。

    いじめることでしか発散ができないと、いつまでたっても自分は変わらない。そうやっていじめを繰り返していると、周囲から人が離れ孤立化がはじまり、最後は自分のフラストレーションで自分を壊してしまう。

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    逆に、フラストレーションを自分を高めるエネルギーに変えることができれば、わざわざ他者を攻撃する必要性はなくなる。

    いまの日本で大切なことは、弱いものいじめを無くそうとすることよりも、1人ひとりが自分の弱さを受け入れ、弱い自分を高めていくことではないだろうか。

    弱さから優しさを、優しさから強さを!

    日々を生きていると、思い通りにならないことうまくいかないことばかりで、フラストレーションは溜まるもの。

    そういうときに、何もできない自分の弱さが見えてきて、情けなく感じるもの。

    それでも弱い自分の隠そうとして人に強がってみせたり、できもしないことを「できる」と言ってみたり、立派な自分に見せようとする。

    しかし、どんなに強がって立派な自分を見せようとしても、人間1人ひとりは誰もが弱い存在。

    心にとって1番フラストレーションが溜まることは、欲求が満たせないことではなく、弱い自分を隠そうとすること。

    まずは、弱い自分を素直に受け入れてみよう。

    自分の弱さを自分で受け入れたとき、はじめてまわりの優しさに気づけるようになるから。

    弱さを受け入れられると、相手の弱さも受容することができて、はじめて共感や協調がうまれて、人間として強くなれるから。

    自分の弱さを素直に受け入れている人、フラストレーションを自分を高めるエネルギーに変えられる人が、人間として本当に強い人だから。

    まとめ

    「弱いものいじめはよくない」と頭でわかっていてもやめられないことが本当の問題。

    なぜ、いじめをやめられないのか、それは今の日本社会が人間の弱さを受容できずにいるから。

    人に優しくすることよりも人に勝つことが優先され、所属や権力などのステータスで人間や人生を評価すると、フラストレーションを抱えてしまう。

    みんなで競って強がって、失敗することも弱音を吐くこともできない社会よりも、1人ひとりが弱さからの優しさと強さを実感できる社会になれるといいなと思います。

    ここまでお読みいただきありがとうございました。

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