偉人の残した「名言」が心に残る理由

みなさん、こんにちは。

心理カウンセリング空の関口です。

あなたは悩んでいるときや落ちこんでいるとき、偉人の残した名言に出会い、その言葉が心に残った経験はありませんか?

私も悩んでいるときに、数多くの名言に出会い、ときに救われ、ときに気づき、そして新たな1歩を踏み出す勇気をもらいました。

しかし、なぜ歴史も国も価値観も違う偉人の名言が、現代の私たちの心に残るのでしょうか?

それは、名言には「人間の本質」が隠れているからです。

今日は、偉人の残した名言にふれながら、名言が心に残る理由と、名言に隠れた人間の本質について書いていきます。

目次
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名言・格言とは

あなたは悩んでいるときに、偉人の残した名言や格言にふれ、その言葉が心に残った経験はありませんか?

偉人が残した名言や格言は、どうして私たちの心に残るのだろう?

まず、名言と格言の言葉の意味について調べていこう。

めい‐げん(名言)

事柄の本質をうまくとらえた言葉。

~デジタル大辞泉より引用~


かく‐げん(格言)

人生の真実や機微を述べ、万人への戒め・教訓となるような簡潔にした言葉。金言。

~デジタル大辞泉より引用~

名言と格言も、事柄の本質や真理を簡潔に述べた言葉。

では、下記は名言になるだろうか?

陽は、東から昇り、そして、西に沈む

自然界のことをそのまま書いているが、名言にはならない。

なぜならば、それは誰もが知っていることだから。

名言とは、人が気づいていないことや忘れかけている本質や真実を簡潔に述べた言葉。

私が好きな名言の5選

あなたは、どんな名言が好きですか?

きっと、人それぞれ好きな名言や座右の銘があると思う。

今回は、私が好きな名言5選をご紹介する。

山本五十六の名言

やって見せて、言って聞かせて、やらせて見て、ほめてやらねば、人は動かず。

話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。

やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

~山本五十六~

太平洋戦争時の連合艦隊元帥であった山本五十六(1884-1943)の言葉。

この言葉が私の心に残ったのは、職場で部下の指導に悩んでいるとき。

ニーバーの名言

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。

変えるべきものを変える勇気を、そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。

~ニーバーの祈り~

アメリカの神学者ラインホルド・ニーバー(1892–1971)が作者であると言われている。

この言葉は、農業で米づくりを担当しているときに感銘をうけた。

エリックバーンの名言

過去と他人は変えられない。

しかし、いまここから始まる未来と自分は変えられる。

~エリック・バーン~

カナダの心理学者エリックバーン(1910ー1970)の言葉。

心理学を学びはじめたときに心に刺さった言葉のひとつ。

二宮尊徳の名言

大事を成しとげようと思う者は、まず小事を努めるがよい。

大事をしようとして、小事を怠り、できないできないと嘆きながら、行いやすいことを努めないのは小人の常である。

およそ小を積めば大となるものだ。

一万石の米は一粒ずつの積んだもの、一万町歩の田は一くわずつの積んだもの、万里の道は一歩ずつ重ねたもの、高い築山ももっこ一杯ずつ積んだものなのだ。

だから小事を努めて怠らなければ、大事は必ず成就する。

小事を努めずに怠る者が、どうして大 事を成し遂げることができよう

~二宮尊徳 語録より引用~

「積小為大」の基になる語録

数多くの荒廃した村を立て直した二宮尊徳(1787-1856)

二宮尊徳は、幼少期に蒔き運びをしながら「論語」や「大学」などを儒教思想を学んだと言われている。

儒教思想のひとつ「中庸」には、以下の格言がある。

遠きに行くには必ず邇(ちか)きよりす

物事を行うには、順序を追って手近な事からやっていくべきである。

一足とびには物事はできないことのたとえ。

《「礼記」中庸から》

尊徳の「積小為大」思想は儒教の影響を受けていると思われる。

この言葉は、私が人生に挫折しているときに、これから何をすべきかを考えるきっかけになった言葉。

アインシュタインの名言

いかなる問題も、それをつくりだした同じ意識によって解決することはできません。

理論物理学者アインシュタイン(1879-1955)の言葉

この言葉は、うつ病に苦しんでいるときに勇気をもらった言葉。

偉人は、どうして名言を言う必要性があったのか?

上記の名言5選はいかがでしたか?

どれも心に残る言葉ではないだろうか。

悩んでいるときや大きな問題を抱えているとき、名言を読むと気づきや勇気をもらえる。

では、なぜ名言には気づきや勇気をもらえる言葉のパワーがあるのだろうか?

それは、偉人も同じようなことで悩み苦しんだから。

名言を読むときに、ただ読むのではなく「どうして偉人はその言葉を話す必要性があったのだろうか?」と、そのときの背景を想像しながら読むと、名言の見え方が変わってくる。

名言5選の背景を、私なりに当時の背景を想像してみる。

人間教育に苦悩した山本五十六

やって見せて、言って聞かせて、やらせて見て、ほめてやらねば、人は動かず。

話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。

やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

きっと、山本五十六も人を育てる時に相当苦労をしたのではないだろうか?

最初は、言って聞かせて教えようとしたのだけれど、人は動かない。

次に、命令だから「やれ」と叱咤激励したところで、人は育たない。

最後に、やっている人を信頼しなければ、その人は挫折する。

人を育てるときに思いどおりに人が育たず「どうやったら人が育つのか?」を山本は研究をした。

その結果、ひとつの真理として上記の考えに至ったのではないだろうか?

祈るしかなかったニーバー

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。

変えるべきものを変える勇気を、そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。

~ニーバーの祈り~

神学者ニーバーは、どうして上記のことを神に祈る必要性があったのだろうか?

もしかしたらニーバーは、事実を受け入れることができず、新たに変えていく勇気もなく、それを見極める能力が無かったのではないだろうか?

もしくは当時の人々が「変えられないことを変えてください」と神にお願いばかりしていて、その光景を見たニーバーが違った角度から神に祈りを捧げたのではないだろうか?

いずれにしても、ニーバーが神に祈るしかなかったのは、当時に人々が「変えられないことを変えよう」としていたから。

エリックバーンの叫び

過去と他人は変えられない。

しかし、いまここから始まる未来と自分は変えられる。

心理学者エリックバーンは、なぜ上記の言葉を話す必要性があったのだろうか?

心理学者とは、人間の心を探究するのが仕事。

エリックバーンは様々な人を観察し、また、研究の一環として悩みを抱えた人の心理カウンセリングなどもしていたと思う。

人々の話しを聞いていくなかで、過去と他人を変えようとする相談が多かった。

そのような悩みごとを聞き続けることに、エリックバーンは少しうんざりしてきた。

しかし、そのときエリックバーンはハッと気づいた。

「過去と他人を変えようとする理想こそが悩みの種である」ことに。

だから、エリックバーンは相談者に叫んだ。

「過去と他人は変えられない。しかし、いまここから始まる未来と自分は変えられる」と。

やる気を引き出す二宮尊徳

「積小為大」とは、「大事を成しとげようと思う者は、まず小事を努めるがよい」という教え。

では、なぜ二宮尊徳は「積小為大」を伝える必要があったのだろうか?

それは、二宮尊徳が荒廃した村に行ったとき、村人が「どうせ無理」とあきらめていたから。

尊徳は、心のなかで今できることをやりもせずに「どうせ無理」と諦めている村人に怒りを感じた。

しかし、怒りにまかせて「やれ」と上から指示をしたところで、村人が動かないことも尊徳は知っていた。

だから、尊徳は村人の心を耕し再びやる気を引き出すために、優しくこう教えた。

大事を成しとげようと思う者は、まず小事を努めるがよい。

大事をしようとして、小事を怠り、できないできないと嘆きながら、行いやすいことを努めないのは小人の常である。

およそ小を積めば大となるものだ。

一万石の米は一粒ずつの積んだもの、一万町歩の田は一くわずつの積んだもの、万里の道は一歩ずつ重ねたもの、高い築山ももっこ一杯ずつ積んだものなのだ。

だから小事を努めて怠らなければ、大事は必ず成就する。

小事を努めずに怠る者が、どうして大事を成し遂げることができよう

真の問題は意識にあることに気づいたアインシュタイン

いかなる問題も、それをつくりだした同じ意識によって解決することはできません。

今のようにインターネットで情報検索ができない時代に生きたアインシュタインは、文献と自分の思考を頼りにひとつひとつの難問を解いていった。

あるとき、アインシュタインは過去に解いた難問の数々を振り返ったときにハッと気づいた。

自分が難問を解く度に、自分の意識が変わっていることに。

そして、真の問題とは、問題そのものではなく問題を作り出している意識にあることに気づいた。

その時に、「いかなる問題も、それをつくりだした同じ意識によって解決することはできません」と語ったのではないだろうか。

偉人の残した名言が心に残る理由

上記で紹介した以外にも、いろいろな名言がある。

ひとつの名言が心に残るとき、その人は偉人と同じようなことで悩んでいるとき。

いま教育に悩んでいる人には、山本五十六の名言は心に残る。

変えることができない過去と他人を変えようと悩んでいる人には、ニーバーとエリックバーンの名言が気づきになる。

大きな理想や夢に挫折してやる気を失っている人には、二宮尊徳の名言が再びやる気を出させてくれる。

解けない難問に苦しんでいる人には、アインシュタインの名言が問題の本質に気づかせてくれる。

今回ご紹介した5人は、国も時代も価値観も異なる人々。

しかし、彼らが残した名言は、現代の私たちの心にも残る。

では、なぜ国も歴史も価値観も異なる人の言葉が心に残るのだろうか?

それは、偉人も私たちも抱える悩みは同じだから。

「人間が抱える悩みは同じ」という本質は今も昔も変わらない。

偉人は、偉人になるべくしてなったのではない。

彼らも、人間関係に悩み、過去と他人を変えようとし、大きな理想に挫折し、難問にぶつかり悩み続けた。

それでもあきらめずに考え、行動を続けたことで、ひとつの真理を見つけた。

そして、それを「言葉」として多くの人に伝えた。

それが名言となり、多くの人に言い伝えられ続け、当時の偉人と同じようなことで悩んでいる「いまの私たち」の心にも残るようになった。

結局、偉人も私たちも人生の本質は何も変わらないのではないだろうか。

まとめ

名言とは、人が気づいていないことや忘れかけている本質や真実を簡潔に述べた言葉。

心に残る名言は、人生が思いどおりになっていないときに出会うもの。

名言に出会ったとき「そうか!」と心が晴れると同時に、大切な事を思い出した気持ちになるのは私だけでしょうか。

結局、人間の本質は何も変わらない。

私たちも偉人と同じようなことで悩み苦しむから、彼らの言葉が心に残る。

そう考えると、私たち一人ひとりが自分の人生と向き合うことで、誰もが偉人になれるのだと思う。

多くの人に名言を残すことはできないと思うけれど、子ども達に生き方を見せることぐらいはできるのだと思う。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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