占いが当たらない理由~禍福は方位ではなく因果応報~

みなさん、こんにちは。

心理カウンセリング空の関口剛史です。

先日、都内を歩いていたら、とても小さなお店に行列ができていました。

「有名なラーメン屋さんかな?」と思い確認したら「占い」のお店でした。

きっと、「当たる」占い師さんなのでしょう。

これからの時代、「占い」や「スピリチュアル」の人気が高まっていくと思います。

それは「社会の先行き不透明であること」と「自分とつながること」が難しい時代だからです。

今日は二宮金次郎の「禍福を方位ではなく因果応報」を参考にしながら、「占いが当たらない理由」について考えていきいきます。

目次

禍福は方位ではなく因果応報

占いの話題の前に、二宮金次郎の「二宮翁夜話集」から「禍福を方位ではなく因果応報」をご紹介します。

禍福は方位ではなく因果応報

翁のことばに、方位で禍福を論じたり、月日で吉凶と説いたりすることが昔からあって、世間ではこれを信じているが、この道理はありえない。

禍福吉凶は方位・日月などは関係のないもので、これを信じるのは迷いだ。

悟道家は「本来東西なし」とさえいうでないか。

禍福吉凶というものは、人それぞれの心と行いとが招くところに来る。

また禍福の因縁によって来る場合もある。ある名僧が強盗にあったときの歌に「前の世の借りを返すのが今貸すか、いずれ報いはありと知れぞ」とよんだとおりだろう。

決して迷ってはならない。

だいたい盗賊は鬼門からはいってくるわけでない、悪日ばかりに来るのではない。戸締まりを忘れれば賊ははいってくると思え。火の用心を怠れば火災が起こるだろう。ためしに戸をあけておいてみるがよい、犬がはいってきて食いものをあさるだろう。

これは眼前のわかりきった話しだ。

古語に「積善の家に余慶あり、積善不善の家に余殃あり」とあるが、これは万古を貫いて動かぬ心理だ。決して疑ってはならない。これを疑うのを迷いという。

米をまいて米がみのり、麦をまいて麦がみのるのは眼前のことで、年々歳々ちがうことはない。それが天理であるからだ。

世に不成就日というものがあるが、これを日にすることがずいぶん成就する。吉日だからといってしたことが必ずしも成就するわけでない。吉日を選んでした婚姻も離縁になることがあるし、日を選ばすに結婚したのに共白髪までゆくもある。

だからこのようことは決して信じてはならぬ。信じるべきものは「積善の家余慶あり」の金言だ。

けれども、この余慶も余殃も、必ずしもすぐに回ってくるものではない。百日でみのるそばもり、秋まいて来年の夏みのる麦もある。ことわざに「桃栗三年柿八年」というように、因果にも応報にも遅早があることを忘れてはならない。

引用 二宮翁夜話(上) 発行:一円融合会刊 原著:福住正兄

占いやスピリチュアルが流行る理由

冒頭でも触れましたが、とある街の小さな占いの店に行列ができていました。きっと「当たる」ことで有名な占い師さんなのでしょう。

これからの情報化時代では、「占い」や「スピリチュアル」が人気になってくると思います。

その理由は2つあります。

ひとつは「先の見通しが見えない社会情勢」、もうひとつが「スマホ依存」です。

社会が高度経済成長で、ひとつ会社に入れば生涯安定で、結婚をして家を建てれば「幸せ」というシンプルな価値観の社会であれば、あまり考えずにその価値観のとおりに生きていけば安心でした。

しかし、時代が変わり、社会情勢は不安定となり、生涯安定の終身雇用制も崩壊。

また、家があり何不自由することもない日常生活ができたとしても、心からの「幸せ」を得られないことにも気づきはじめました。

いったいどこに向かって生きていけばいいのか?、何を信じればいいのか?、自分にとって「何が幸せなのか?」がわからなくなったとき、心に不安があらわれます。

スマホとSNSが普及したことにより、「わからない」ことは検索するようになりました。また、いつでもどこでも誰とでもつながれるようになりました。

その反面、自分で何かを想像したり考えたりする機会が減り、自分の内面とじっくり対話することができなくなりました。

想像することも考えることもできず、自分がどうしたいのか?、どう感じているかもわからない状態で、先のことを思えば、誰だって不安になります。

そして、その不安から「占い」や「スピリチュアル」に答えを求めようとする人が増えていくと思います。

占いが当たらない理由

結論から言うと、占いが当たらないと感じるのは、あなたの心の奥底に正しい答えがあるからです。

そもそも、「占いが当たる」とはどんな意味なのでしょうか。

例えば、占いで「あなたは明日転びます」と予言されたとします。

そして、翌日に実際に転べば「占いが当たった」ことになり、転ばなければ「占いは当たらなかった」ことになります。もし、占いを受けないで転んだら「転んだ」だけの話しです。

人間は心が不安なときに、占いなどで「何かを予言・断定され、それを信じる」と、日々の中で「事実と予言の意味づけ」が強くなります。

例えば、ちょっと足を絡ませて転びそうになっただけでも、「昨日の占いが当たった」と信じようとします。それは、占いを信じることで、一時的な安心を得ることができるからです。

しかし、事実と予言の「意味づけ」が強くなると、心は予言がないと恐怖を感じるようになり、やがて、予言がすべての安心材料となり、最後は予言のとおりに動くようになります。

もちろん、占いやスピリチュアルで、自分では想像もつかないようなヒントやアドバイスをもらうことはいいと思います。

ただ、それはひとつのヒントであって、あなたにとっての正しい答えではありません。

占いやスピリチュアルに「当たる答え」を求め続けると、結局は自分を見失います。

社会が不安で先行きが見えない不安感よりも、自分自身を見失うことの方が数百倍も不安なもので、更に占いに依存するという悪循環に陥ります。

未来とは、今日のあなたが育て作り上げていくものです。

未来が不安だから、今日を怯えて過ごしていたのでは、やはり不安な未来になってしまいます。

例えば、米が収穫できるかどうかが不安で怯えて、春に種を蒔かなかったら、秋に米を収穫できず、その不安が現実のもととなります。

繰り返しになりますが、未来とは今日のあなたが育て作り上げていくものです。

もし、「幸せになりたい」と思うのであれば、今日から小さな幸せを見つけてみよう。

もし、「この先が不安だ」と思うのであれば、あなたの理想を明確にして、その理想に少しでも近づけるように、今のあなたで何ができるかを考えてみよう。

もし、「占いが当たらない」と感じたときは、「当たる占い師」を探すのではなく、もっと自分と対話をして、心の奥底にある答えを感じてみよう。

未来の予言を求めるのではなく、今のあなたができることを考えてやってみよう。

あなたの未来は、あなた自身が育て作り上げていくものであり、それが運命というものだから。

まとめ

二宮金次郎は、大飢饉により荒廃した村を、村人の心から立て直し、数多くの村を復興させた人です。

金次郎が「禍福は方位ではなく因果応報」と説いたのは、やはり当時の村人に「方位」や「月日」に答えを求めた人々が多かったからではないでしょうか。

「米をまいて米がみのり、麦をまいて麦がみのる」のが自然の摂理です。

あなたはあなたの心にどんな種を蒔いていますか?

今日あなたが心に蒔く種が、あなたの未来へとつながっていくものだから。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

疲れた思考と心をクリアにしませんか?
オンラインカウンセリング

Pickup

山と渓谷社が発行している登山専門誌「山と渓谷 2021年2月号」にコラムを掲載させていただきました。

単独登山でのお悩み相談から、「登山が心にもたらすもの」として、引きこもりだったA君との登山カウンセリングについて書いておりますので、「山と心」について興味がある方は、ぜひお買い求めください。

 

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次