
カウンセリングSORAの関口です。
これまでの自分自身の人生を振り返るとともに、多くの方々から寄せられた人生相談を思い返す中で、私は「人生をより良く生きるためには、人としての生き方を学ぶことが大切だ」と実感しています。
人としての生き方を知ることで、これから歩むべき道が少しずつ見えてくるからです。
そこで、みなさまの人生に少しでも役立つヒントをお届けできればと思い、人としての生き方に学べる書籍を引用しながら、1日1文のブログを綴っています。
しばらくの間は、「イソップ寓話」からの引用をもとに、生き方について一緒に考えていきたいと思います。
今日の言葉
イソップ寓話より引用
90)蝮(マムシ)と水蛇 蝮がいつもやって来ては水を飲む泉があった。そこに住む水蛇は、蝮が自分の餌場に満足せず、他人の縄張りにまで押しかけて来ることに腹をたて、その都度邪魔をしようとした。こうして争いがひどくなるばかりなので、二人は決闘をして、勝った方が土も水も自分の領分にすることに取り決めた。 戦いの日どりも決まった時、水蛇を憎む蛙たちが蝮のところへやって来て、助太刀を約束して激励した。さて、いよいよ決戦が始まると、蝮は水蛇を攻めたてたが、蛙はそれ以上何もできないので、ただ大声で鳴いていた。 蝮が勝ったが、彼は蛙を非難した。助太刀を約束したくせに、戦いの間、少しも助けなかったばかりか、歌など歌っていたではないか、と。すると蛙たちが答えて言うには、「いいですか、われわれの加勢は手でするのではなく、声だけでするのです」 手が必要な時に言葉だけの援助は屁の突っ張りにもならぬ、ということをこの話は説き明かしている。
【引用元 岩波文庫 イソップ寓話集 著 イソップ 翻訳 中務哲朗】
言葉だけの主張は意味がない
情報化が進み、誰もが自分の意見や主張を発信できる時代になりました。 それ自体は素晴らしいことですが、一方で「主張するだけの人」が増えてきたようにも感じます。
そうした人々は、自分の価値観や感情に基づいて主張を述べたり、現状を否定したりしますが、具体的な行動計画が見えてこないことが多いのが特徴です。 あたかも、「言葉を発すること」そのものが目的になってしまっているように感じられます。
2024年7月の都知事選の候補者を見ていると、そうした傾向が色濃く表れているように思います。 彼らの多くは、都政や都民の生活を真剣に考えているというよりも、「出馬して目立ち、発言すること」そのものが目的となっているように見えるのです。
イソップ寓話の「マムシと水蛇」のお話では、カエルがマムシに「助太刀する」と約束します。 マムシは、カエルが本当に自分を助けてくれると信じましたが、カエルにとっての「助太刀」とは、ただ遠くから声援を送るだけのものでした。
この寓話が示すように、同じ言葉を使っていても、その意味や行動の重みは人によって異なります。 本来、「助太刀する」とは行動をともなう約束であるはずですが、言葉だけの応援では、信頼を築くことはできません。
私個人の考えとしては、何かを主張するのであれば、その意見に対して責任を持ち、具体的な計画や代替案を提示することが前提であるべきだと思います。 もしそれができないのであれば、意見を述べる資格はないとすら感じています。
しかし現実には、主張するだけで満足し、他者の意見を批判しても、自らの具体的な提案は何一つ示さない人が多く見受けられます。 それは、まさにカエルの「助太刀」と同じであり、そんな姿勢を続けていては、やがて誰からも信頼を得ることはできなくなるでしょう。
イソップ寓話の一節を通して、私はそのような気づきを得ました。
今日の問いかけ
「意見を主張するときに、それは批判ではなく自分自身のしっかりした考えになっていますか?」
私自身も、声を上げるときには自戒を込めて、この寓話を思い出すようにしています。
コメント