カウンセリングSORAの関口です。
これまでの自分自身の人生を振り返るとともに、多くの方々から寄せられた人生相談を思い返す中で、私は「人生をより良く生きるためには、人としての生き方を学ぶことが大切だ」と実感しています。
人としての生き方を知ることで、これから歩むべき道が少しずつ見えてくるからです。
そこで、みなさまの人生に少しでも役立つヒントをお届けできればと思い、人としての生き方に学べる書籍を引用しながらブログを綴っています。
しばらくの間は、「イソップ寓話」からの引用をもとに、生き方について一緒に考えていきたいと思います。
今日の言葉
イソップ寓話より引用
114)野辺送りする医者
医者が、身内の者の野辺送りに従いながら、葬列の人たちに向かって、この人は酒を控え浣腸を施していたなら死ななかっただろう、と言った。一人が答えて言うには、「おいおい、今ごろそんなことを言っても糞の役にも立たぬ。それが使える時にこそ勧めるべきだった」友への援助はそれが役に立つ間に提供すべきで、一巻の終りになってからお為ごかしを言うべきではない、ということをこの話は説き明かしている。
【引用元 岩波文庫 イソップ寓話集 著 イソップ 翻訳 中務哲朗】
後悔が教えてくれる、未来の選び方
「あの時、こうしておけばよかった……」と、誰しも一度は過去を振り返った経験があるのではないでしょうか。
しかし、その振り返り方には注意が必要です。多くの場合、私たちは自分自身や他者への批判に偏りがちです。
そもそも、後悔とは「物事が思いどおりに進まなかったとき」に生じる感情です。
そのような場面で、自分の言動を振り返り、反省することができれば、次にどうすれば良いかという改善策が見え、未来を変えることができます。
一方で、思いどおりにいかなかった結果に対して、自分や相手の行動を批判しても、現実も未来も何も変わりません。
それなのに、なぜ私たちはつい自分や他者を批判してしまうのでしょうか。
それは、批判することで、自分の判断を正当化しようとする心理が働くからです。
つまり、「自分は間違っていなかった」と証明したいがために、自分や相手の言動を責めてしまうのです。
こうした姿勢のずるいところは、結果が悪かったと明らかになってから批判を始める点にあります。
たとえば、イソップ寓話『野辺送りする医者』に登場する医者も、患者が亡くなってから「酒を控え、浣腸をしていれば助かったのに」と発言しています。
もし本当に助けたいと思っていたなら、生きているうちに忠告すべきだったはずです。
亡くなった後に批判を口にするのは、医者としての無責任さをごまかし、あたかも自分が正しかったかのように装っているにすぎません。
後悔するとき、私たちは「批判」するか「反省」するかの選択を迫られます。
そして、その選択が、その後の人生の方向性を大きく左右するのです。
過去を批判するよりも、自分を見つめ直し、未来を見据えること。
その方が、より良い未来を切り拓く力になると、私は感じます。
イソップ寓話集の「野辺送りする医者」を読んで、そんなことを感じました。
今日の問いかけ
「みなさんが後悔するとき、批判ですかそれとも反省ですか」
過去と他人は変えることはできません。変えることができないことを変えようとすることが苦しみです。
後悔が苦しいのは変えることができないことに意識を向けているからです。
どうせ後悔するのであれば、変えることができること、すなわち自分と未来に意識を向けたいものですね。
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