
カウンセリングSORAの関口です。
これまでの自分自身の人生を振り返るとともに、多くの方々から寄せられた人生相談を思い返す中で、私は「人生をより良く生きるためには、人としての生き方を学ぶことが大切だ」と実感しています。
人としての生き方を知ることで、これから歩むべき道が少しずつ見えてくるからです。
そこで、みなさまの人生に少しでも役立つヒントをお届けできればと思い、人としての生き方に学べる書籍を引用しながら、1日1文のブログを綴っています。
しばらくの間は、「イソップ寓話」からの引用をもとに、生き方について一緒に考えていきたいと思います。
今日の言葉
イソップ寓話より引用
87)金の卵を生む鵞鳥(がちょう)
ヘルメスを崇拝することひとかたならぬ男があったので、神は褒美として、金の卵を生む鵞鳥を授けた。ところが男は、ご利益が少しずつ現れるのが待ちきれず、鷲鳥の中身は丸ごと金だと思いこんで、一時の猶予もあらばこそ、殺してしまった。
その結果、男は期待を裏切られたばかりか、卵までも失った。中身は肉ばかりだったのだ。
このように、強突張はしばしば今以上のものを欲しがって、今あるものも失ってしまうのだ。【引用元 岩波文庫 イソップ寓話集 著 イソップ 翻訳 中務哲朗】
人生の財産とは何か
「金の卵を産むガチョウ」で知られるイソップ寓話をご存じの方も多いでしょう。
この寓話では、「強欲により今あるものを失う」という教訓が語られていますが、私はもう一つの視点があるのではないかと感じました。
それは、「金の卵を産むガチョウ」そのものが神からの褒美なのではなく、「神から褒美を与えられた」という“機会”こそが、真の恵みだったのではないかということです。
もし男がそのことに気づき、日々神に感謝していれば、物質的な利益以上の満足感を得られていたかもしれません。
私たちは何かを求めるとき、ついお金やモノなど目に見える“結果”ばかりに意識を向けがちです。そして、たとえそれを手にしても、時間が経つと物足りなくなり、さらなる欲を追い求めてしまうものです。
寓話の男も、最初は金の卵を産むガチョウを授かったことに喜びました。しかし、少しずつしか利益を生まないことに我慢できず、ついにはガチョウを殺してしまいます。
「ガチョウを授かった」という奇跡に感謝していれば、すべてを失うことはなかったでしょう。目先の欲は一時的に満たされても、やがてはさらなるものを求め始める――それが人間の性でもあります。
だからこそ、人生において与えられる様々な“機会”そのものを大切にし、その中にある意味や感謝を見出していく姿勢が、大きな満足感をもたらすのだと思います。
人は死んだとき、物質ではなく“精神”しか持っていくことはできません。
そう考えると、人生の中で得られるあらゆる“機会”こそが、真の財産なのかもしれません。
イソップ寓話『金の卵を産むガチョウ』を読み、そんなことを深く感じました。
今日の問いかけ
「いま、あなたに与えられている機会はどんなことですか? その機会に感謝できることはありますか?」
もしかしたら、まだ見ぬ結果よりも、“いま”という機会のほうが、人生の財産なのかもしれませんよ。
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