みなさん、こんにちは。
心理カウンセリング空の関口剛史です。
人間は誰もが「こうなれたらいいな~」と夢を描きます。その夢を誰かに語ると「いいね、応援しているよ」と背中を押してくれる人と「そんなの無理だよ!諦めた方がいいよ」と否定する人に分かれます。
最近とある本で、夢を応援し背中を押してくれる人は「ドリームサポーター」で、夢を否定する人は「ドリームキラー」だと表現されていました。
私は、この文章を読んだときに違和感を抱きました。
その違和感を自分の中で掘り下げたときにわかったことが、夢を叶えるのはすべて自分次第で、ドリームサポーターやドリームキラーなど、他者にラベル貼りをする考えはちがうという思いでした。
今日は「夢を叶えるのはすべて自分次第」について書いていきます。
ドリームサポーターとドリームキラーのちがい
ドリームキラー(Dream Killer)とは、直訳すると夢を殺す人。ドリームサポーター(Dream Supporter)とは、夢を支援してくれる人。
ドリームサポーターとドリームキラーのちがいは、自分の夢を応援してくれる人がサポーターで、夢を否定する人がキラーとなる。
例えば、「ITの仕事を辞めて農家になる!」という夢を描いたときに、「うん、そうだね。君ならできるよ!、私も応援する」と応援してくれる人はドリームサポーターとなり、「農業は大変だよ、収入は安定しないし、技術も必要だよ、今の君には厳しいと思うよ」と否定する人はドリームキラーとなります。
ドリームキラーに夢を壊されないようにするために「夢を語らない」「受け流す」「ドリームキラーにちかづかない」などの方法論があるようですが、あなたの夢に意見を言う人に対して、サポーターとキラーなどとラベル貼りをする考え方が夢が叶わない最大の原因になると思います。
前回のブログでも紹介した、職場の人間関係からうつ病になり1日農業体験を受けにきた彼は「僕の夢が見つかりました。僕は今の仕事を辞めて、これから農家を目指したいと思います」という夢を私に語ってくれました。しかし、彼の夢に対して私は「その夢は厳しいと思う。それは逃げるための夢だから」と忠告しました。
その時の彼から見れば私はドリームキラーです。では、私は彼の夢を殺すために意見を言ったのでしょうか?
彼の夢を聞いたとき「それは今の人間関係から「逃げる夢」であり、逃げる夢を追いかけて農家になったとしても、また人間関係で悩むことになる」と私は思ったのでそのまま伝えました。きっと厳しい意見に聞こえたことでしょう。
「うん、それはいい夢だね。私も応援するよ」と彼に言ってあげた方が、その場はお互いにとって心地よいものになることを十分理解していました。しかし、農家になったとしても人間関係の悩みはあること、彼が本当に農家になったときに実際には応援できないことを知っていましたので、私はあえて否定的な意見を伝えました。
それでも「人間関係の悩みがあっても、ひとりでも農家になりたい」と彼が強く思うのであればそれは「挑む夢」であり、「やっぱり無理かな~」と思うのであれば「逃げる夢」です。
ドリームサポーターとドリームキラーのちがいは、自分の夢に対する相手からの意見が心地よく聞こえるかどうかだけ。相手が「なぜ、その意見を言ったのか?」を感じ取れていない。
本当に心から描く「挑む夢」であれば、相手からの否定的な意見も自分の思考を深め広げるための重要なアドバイスになるはず。しかし、深く考えもせずに自分にとって心地よいものをドリームサポーターといい、否定的なものをドリームキラーとラベルを貼ってしまう考え方が、最近は多いように感じます。
ドリームキラーという認知のゆがみ
最近の成功法則や心理学の本を読んでいると、自分にとって心地よくないもの(マイナスやネガティブに感じるもの)に対して「認知のゆがみ」で見ないようにする傾向が強いと感じます。
認知のゆがみについては下記ブログで解説していますので、ご参考ください。
では、ドリームキラーはどの認知のゆがみに当てはまるのでしょうか。
「ドリームキラー」という言葉をすでに知っていることを前提にしたうえで、あなたが友人に夢を語ったとき「無理だよ。やめておいたほうがいいよ~」と言われたとします。その時、あなたは友人を「ドリームキラー」と判断すれば、それは以下の認知にゆがみに該当します。
全か無か思考
全か無か思考は、物事を白か黒か正しいかか誤りかなど、どちらかの選択で物事を考える認知のゆがみ。
夢を応援してくれる人がサポーターで否定する人をキラーと判断する。
その結果、なぜ否定されているかを考えられない。
一般化のしすぎ
一般化は、たったひとつの出来事だけで「すべてこれだと」考える認知のゆがみ。
夢を否定されたときに「この人はドリームキラーだ」と決めつけようとする。
決めつけることで、それ以上の思考を止めようとする。
結論の飛躍
結論の飛躍は、根拠もない結論を出してしまう認知のゆがみ。
夢を少し応援されただけで「この人はサポーターだ」、否定されただけで「この人はキラーだ」と簡単に結論付けようとする。
なぜ、その人が応援してくれようとしたのか、なぜ否定したのかを考えようとしない。
拡大解釈と過小評価
拡大解釈と過小評価は、ひとつの出来事に対して過大評価と過小評価をする認知のゆがみ。
人間関係においては、拡大解釈が問題になる。
例えば、あなたが友人に夢を語ったとき、友人が何気なく「応援するね」と言ったことを拡大解釈すると、実際に友人に応援を求めたときに応援してもらえないと「あのとき応援すると言ったじゃない!」と友人を攻撃しはじめる。
感情的決め付け
感情的決めつけは、自分の感情を最優先して出来事を決めようとする認知のゆがみ
自分にとって心地よい物事が正しいもので、心地よくない物事が悪いものと決めつけをする。
ひとつの出来事に対して「なぜ、自分がそう感じるのか?」を考えないため、いつも自分と他人の感情に振り回される。
ラベル(レッテル)貼り
ラベル貼りは、1枚のラベルを貼ることで全体をまとめてしまおうとする認知のゆがみ
夢を応援する人を「サポーター」というラベルを貼って、否定する人を「キラー」というラベルを貼って、全か無か思考で処理をしようとする。
夢を叶えるのはすべて自分次第
ドリームサポーターやドリームキラーという考え方はいいと思います。しかし、その考え方が強い観念になると、あなたの夢に対して意見を言う人を認知のゆがみで評価することになり、夢を応援してくれる人が「いい人」で、否定する人が「悪い人」の2極で見ることになります。
しかし、もしかしたらあなたのことを親身に思っているからこそ「今はあえて夢を否定する」人がいるかもしれません。その人の意見をアドバイスとして受け止めることができないと、最後に「裸の王様」になることでしょう。
結局のところ、あなたの夢を叶えるも叶えないも、すべてはあなた次第です。あなたがあなたの夢のことをどれだけ信じることができるかどうかです。周りの意見で左右されるものでもありません。
夢を描けば試練も一緒にセットされます。
そのことを理解していれば「夢を語らない」「受け流す」「ドリームキラーにちかづかない」などの方法論、応援してくれる人をドリームサポーター、否定する人をドリームキラーなどとラベル貼りをする必要もなく、すべての出来事が夢に向かって必要なアドバイスとして受け止めることができるのではないでしょうか。
周りを評価するのではなく、自分の心で感じとることを大切にしていきましょう。
意外と、自分にとって心地よくない意見こそが、夢を叶えるために大切なものを気づかせてくれるものだから。
まとめ
最近、夢をかなえることが目的になっているような感じがします。夢を叶えることが目的になるから「早く夢を叶える方法」とか「ドリームキラー」といった言葉がうまれるのではないでしょうか。
自然界の動物のなかで、なぜ人間だけ「夢をかなえたい」などと思うのでしょうか。夢を描かなければ挫折もないのに・・・。
人間にだけ「想像力」や「思考」や「心」が備わっていることを考えると、想像力で夢を描くことで、そのために必要は物事を考えて、試練を乗り越えて心を高めていくと考えた方が理にかなうように感じます。
夢が叶えば、それは現実です。そして、その現実のなかで次の夢を描くのが人間です。
本当は、夢を叶えることが目的ではなく、夢を描くことで心を高めていくことが目的。だから、夢を描くと試練も一緒にセットされる。そう仮定すると、夢に対する意見に対して良いも悪いもなくサポーターやキラーもなく、その意見を聞いたあなたが「どう思い、どうしていくか?」を問われているのではないでしょうか。
良いも悪いも、ドリームサポーターもドリームキラーも自分の心が感じていることだから。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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