みなさん、こんにちは。
心理カウンセリング空の関口剛史です。
2021年2月号の「山と渓谷」に登山カウンセリングのエッセイを書かせていただきました。
エッセイで紹介しているA君とは、山に登りながらいろいろなことを話し合いました。
そのひとつに「なぜ、苦しくても山に登るのか?」というテーマがありました。
今日はA君との登山カウンセリングのエピソードをご紹介します。
なぜ、苦しくても山に登るのか?
「なぜ、山に登るのか。そこに、山があるからだ」イギリスの登山家、ジョージ・マロリーの有名な言葉です。
「でも、なぜ苦しい思いをしてまで山に登るのか?」、引きこもり状態だったA君が山に登りながら感じた疑問でした。
もし、山登りではなく、山下りだったら?
もし、山登りが苦しい登りからはじまるのではなく、楽な下りからはじまるとしたらどうでしょうか。
最初に山を下っていき、底に到着した時にお弁当を食べる。
周囲を山に囲まれており、雄大な景色も眺められない場所。体もあまり疲れていない。
お弁当を食べ終えたら、今度は苦しい登り坂を登って、出発地に戻る行程。
もし、「山登りと山下りを選べるとしたら、どちらを選ぶ?」とA君に質問しました。
A君は少し考えた後に「山登り」と答えました。
「どうして?」と聞くと「最初は苦しいけれど、景色がいいところでお弁当を食べたいから」との答えでした。
みなさんは「山登り」と「山下り」どちらを選びますか?
ヘリコプターで頂上に行ったら?
次に、ヘリコプターをチャーターして、山の頂上に行くとしたらどうでしょうか?
2時間~3時間かけて苦しい思いをして登るような山でも、ヘリコプターを使えば数十分で頂上にたどりつけます。
頂上でサクッとお弁当を食べて、帰りもヘリコプターで降りれば、1時間もあれば山登りを終えられます。(チャーター費用はかかりますが・・・)
もし、「自分の脚で頂上に立つこととヘリコプターで頂上に行くことを選べるとしたら、どちらを選ぶ?」とA君に質問しました。
するとA君は「山に登る目的により答えは変わると思う。山の頂上に行くことが目的であればヘリコプターを使えばいい。しかし、達成感とかおいしいお弁当とかを味わいたいのであれば、自分の脚で登り立つことが大切だと思う」と答えました。
みなさんは、ヘリコプターで行く頂上と自分の脚で立つ頂上のどちらを選びますか?
苦しくても山に登る心理
なぜ、苦しくても山に登るのでしょうか?、それは、苦しい先に達成感や充足感を味わえることを心は知っているからです。
山に登るのは、山に登ることが目的なのではなく、山に登ることで心身にいい影響をもたらすからです。
苦しい思いをして山の頂上に立つから達成感や充足感を味わえる。自然に囲まれ雄大な景色を眺めることで心はリラックス。そして、心が広がった分だけ相対的に悩みはちっぽけに感じられる。どれもが、心にもたらす効果です。
以前のブログに書きましたが、畑で子供に「カブと大根、好きな方を抜いていいよ!」と声をかけると、子供達は全員大根を抜こうとします。一方大人は、ほぼ全員カブを抜こうとします。
同じように声をかけたのに、子供は大根を抜き、大人はカブを抜くのは、なぜでしょうか。
それは収穫が難しい大根の方が「楽しい」ことを子供達は知っていて、大人はカブが「楽(らく)」であることを知っているからです。
心の中には、苦しさの先に達成感や充実感があり、楽(らく)の先に虚しさがあるのだと思います。
最近、効率化を求めるあまり「楽で早くに快適に」のキャッチコピーが溢れています。しかし、それはヘリコプターで頂に行くようなもので、楽(らく)を求めすぎると心は虚しさを感じるようになります。
そして、心の虚しさを紛らわすために快楽を求めるようになり、ギャンブル・薬物やスマホ依存になってしまう人が増えているように感じます。
いま、コロナ禍で目的を見失い苦しい状況に陥ってしまうこともあると思います。でも、そういうときだからこそ、一度自分自身を見つめ直して、これから「心から登ってみたい」と思えるような「自分の山」を見つけられる機会になるとも思います。
先が見えないときほど、心から登ってみたいと思える「自分の山」を見つけて1歩ずつ登っていきましょう。その頂にあるものを信じて!
まとめ
エッセイで紹介したA君は、いまは社会に出て頑張っています。
きっと、A君は、自分が登るべき山(取り組む課題)を見つけられ、引きこもり状態から1歩踏み出すことができたのだと思います。
なぜ、苦しい思いをしてまで山に登るのでしょうか?
きっと、ひとり1人が「自分の山」に登ることで、大切な何かを感じたり見つけられたりするからだと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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