みなさん、こんにちは。
心理カウンセリング空の関口剛史です。
先日、今年の秋に種を蒔いたおふくろ大根を収穫しました。
小さな種が無事に大きな大根に育ってくれたことにうれしく感じたとき、フッと「何が実るかわからない種を蒔いたら、どんな気持ちになるのだろ」と考えたところ「子育ても一緒だな~」と気づきました。
今日は「子育てとは、何が実るかわからない種を育てるようなもの」について書いていきます。
大根の種を蒔けば大根が育つ
9月、家庭菜園に「おふくろ大根」の種を蒔きました。
種の袋には、種を蒔く時期、栽培方法、収穫時期などが説明されているので、あまり悩まずに種を蒔くことができます。
小さな双葉が発芽してから順調に育ち、当初の計画どおり12月には大きな大根へと成長しました。
説明書きのとおりに大根の種を蒔いたから、説明書きのとおりに大根が育つ。
とてもあたりまえのことだけれど、もし、何が育つかわからない種を蒔いたら、どんな気持ちになるのでしょうか。
もし、何の種かわからなかったら?
もし、あなたの手の中に何が育つかわからない種があったらどうしますか。
いつ蒔けばいいのか、何がどのように育つのか?どんな花を咲かして何が実るのか?まったくわからない種。
でも、1つだけ解っていることがある。それは「種は土に蒔かないと育たない」ということ。
だから、何が育つかわからない種でも、とりあえず蒔いてみようと思うことでしょう。
種を蒔いたその日から種のことが気になって、毎日水をあげて、無事に芽が出るかどうかの不安と、どんな芽がでるのかを楽しにする。
無事に芽がでたらホッと一安心。でも、どのように育つかわからないため、毎日じっくり観察をする。
適時水をあげて脇目らしきものをとって、葉っぱが形になってきたら本で調べてみたりと、成長過程がわからないからこそ一生懸命に試行錯誤をする。
ふと周りに畑を見てみると、きれいなトマトや立派なキュウリが育っている。そのときに「この種は周りの作物のように無事に育つのかな・・・」と不安にもなる。
それでも種を信じて向き合うことで、やがて実りの時期を迎えて、白くて大きい根っこが見えて、「あ~これは大根だ~」と知ることができる。
そして、そのときはじめて種を知ること、成長過程のすべてを理解することができる。
わらかない種が何の種だったのかは、土に蒔いて無事に実ってからはじめてわかること。
わからない種だからこそ不安も大きい。だけれど、わからない種だからこそ、どんな実りを迎えるのか?という楽しみもあるもの。
子育ても、何が育つかわからない種を育てるようなものです。
子育てとは、何が実るかわからない種を育てるようなこと
人間ひとり1人が個性を持っているので、正しい子育てや教育方法なんてなく、あるのは、その子にあった子育てや教育のみ。
だけれど、親にもその子にあった育て方や教育がまったくわからない。
だからこそ、親はその子をよく観察をして、興味をもって関わることが大事なのだと思う。
その子の伸ばせそうなところはしっかりと伸ばして、人に迷惑をかけること、自己保身のための嘘を言うようなときは、きびしく躾ける。
時には、周りの子と比較して、我が子が信じられなくなったり不安になったりするときもある。
社会の中での子供の成長過程は、楽しいこともつらいことも起こる。時には一生懸命に育てているのに反抗してくることもある。子育てはいつも悩みと葛藤ばかり。
それでも、親はその子のもっている個性を信じて、毎日毎日、興味と関心を寄せながら向き合うことで、その子らしさが社会で発揮されていくのだと思う。
その子がその子として社会で生きられるようになったとき、はじめて子供の個性と、それまでの子育てが理解できるのだと思う。
最近「子育てはこうしなさい」とか「正しい子育て」などの一方的な情報が世の中に溢れている。
そのため、子育てに悩んだときに世の中の情報が正しいように感じて、そうでない子供がダメな子に感じてしまうことが多いと思う。
しかし、正しい子育てなんてありません。あるのは、その子にあった育て方があるのみ。
その子にあった育て方がわからないけれど、わからないからこそ、その成長を楽しみながら見守ることが大事なのではないでしょうか。
子育てとは、何が実るかわからない種を育てるようなことなのだから。
まとめ
先日収穫した「おふくろ大根」は市場で流通していません。
その理由は、ふっくら膨らんだ姿が収穫は大変で流通には適さないから。
しかし、おふくろ大根には「煮て食べるとおいしい」という個性を持っています。
また、収穫が大変だからこそ、収穫時の楽しみをもたらします。
ひとり1人に個性があるのが人間です。
その個性を信じて育てていくことが、その子にあった子育てになるのではないでしょうか。
そして、自分の個性を信じ発揮できる人間が増えていくことで、はじめて調和のとれた社会になるのではないでしょうか。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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