学びは、日常生活の中にある~善悪は実行上の評価~

みなさん、こんにちは。

心理カウンセリング空の関口剛史です。

最近、WebやYouTubeなどで、色々なことが無料で学べるようになりました。

また、新しいことを学ぶことで、「これから変われそう」と感じて、有料セミナーに参加される人も多いのではないでしょうか。

しかし、WebやYouTubeやセミナーで新しいことを学んでも、それを日常に活かせないと、意味がありません。

そのことを、二宮金次郎は「善悪は実行上の評価」と説きました。

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善悪は実行上の評価

二宮金次郎の「二宮翁夜話集」から「善悪は実行上の評価」をご紹介します。

善悪は実行上の評価

翁のことばに、朝な夕なに善を思っていても、善事をしなければ善人とはいえない。

それは、昼となく夜となく悪を思っていても、悪事をしなければ悪人といえないのと同じことだ。

だから、人は悟道治心の修行などに暇を費やすよりは、小さな善事でも身の行うのが尊いのだ。

善心がおこったならば、すぐさまこれを実行にあらわすがよい。親のある者は親を孝養するがよい。使丁のある者は子弟を教育するがよい。飢えた人を見て哀れと思ったら、すぐに食物を与えるがよい。

悪いことをした、やれ間違ったと気づいても改めなければしかた道は実地実行を尊ぶ。

およそ世の中のことは、実行によらなければ成就しないものだからだ。

たとえば小さな菜虫など、探し求めても見つからないが、菜を作れば自然に生ずる。小さなぼううらも、探し求めても見つからないが、おけに水をためておけば自然と生ずる。いまこの席にハエを集めようとしても決して集まらない。つかまえて来て放してもみんな飛び去ってしまう。ところが飯粒を置いておけば集めなくても集まるのだ。

よくよくこの道理をわきまえて、実地実行を励むがよい。

引用 二宮翁夜話(上) 発行:一円融合会刊 原著:福住正兄

学びは、日々の生活の中にある

新しいことを学ぶのは楽しいものですね。

学ぶことで、何かが変わりそうな気分になったり、学びの場の仲間同士で盛り上がったりと、自分たちが「いい学び」をしていると思えば思うほど、何かが変わりそうと期待をするものです。

しかし、日常に戻ると、やっぱり何も変わっていない。つまらない仕事も、嫌いな上司も、気の合わない友人も、いままで通り。

自分が学んでも、相手が変わらないから「こういう人達こそ学ぶべきだ!」と相手に変化を求めたり、学んでも日常を変えられないから、更に学びを繰り返したして、結局はセミナージプシーになってしまう。

学ぶことで何かを変えようとするから、いつまでたっても学びが終わらない。

学びとは、日々の生活のなかで学んだことを善事に対して実行することで、新たな気づきを得ることです。

例えば、心理学講座などでコミュニケーション手法を学んだとします。

この時、コミュニケーションで自分の思いどおりに相手を動かそうとするのは、善事ではありません。

コミュニケーションにおける善事とは、お互いが心からわかり合えることです。

よって、コミュニケーションの学びでは、お互いが心からわかり合えるように、日常の中でどう実行するかが、大事なポイントになります。

学びの目的とは、日常の生活のなかで、少しでも善事を積み上げていけるような人間になること。

そして、そのような人間になるために、何を学び、どう実践していくのか?を考えることが大事ではないでしょうか。

まとめ

二宮金次郎は「人は悟道治心の修行などに暇を費やすよりは、小さな善事でも身の行うのが尊いのだ」と語ります。

情報と学びがあふれる時代だからこそ、いったい何のために学ぶのか?を意識する必要があると感じます。

ここまで、お読みいただきありがとうございました。

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