心の天道と人道 

みなさん、こんにちは。

心理カウンセリング空の関口です。

みなさんは、心から尊敬できる人や憧れを感じる人はいますか?

いま、私が尊敬しているひとりが「二宮尊徳(金次郎)」です。

以前は「二宮尊徳」と聞いても「蒔きを担いで勉強している銅像の人」ぐらいしか知らなかったです。しかし、二宮尊徳の思想や功績を知り、その思想は、現代の心理学や人間の生き方にも通ずるものがあると思い、二宮尊徳を勉強するようになりました。

今日は、二宮尊徳の「天道人道論」と「心田開発」について、私の視点を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

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天道人道論とは?

飢餓や飢饉により荒廃した村や村人を自立させるため、二宮尊徳は村人の心を耕す「心田開発」を行い、数多くの村と村人を自立させました。

その二宮尊徳の活躍のなかで、有名な天道・人道論をご紹介します。

「天道は自然に行われる道で、人道は人の立てるところの道だ。もとより区別が判然としているものを、混同するのは間違いだ。人道は努めて人力をもって保持し、自然に流動する天道のために押し流されぬようにすべきものだ。

天道にまかせておけば、堤は崩れ、川は埋まり、橋は朽ち、家は立ち腐れとなる。人道はこれに反して、堤を築き、川をさらえ、橋を修理し、屋根をふいて雨のもらぬようにするのだ。

身の行いも同様であって、天道は寝たければ寝、遊びたければ遊び、食いたければ食い、飲みたければ飲むという類だ。人道は眠たいのをつとめて働き、遊びたいのを励まして戒め、食いたい美食をこらえ、飲みたい酒を控えて明日のために物をたくわえる、これが人道なのだ」 (「夜話」五〇)

~教養として知っておきたい二宮尊徳より引用~

二宮尊徳は、自然の摂理を天道といい、その天道に対して人が行うことを人道と説きました。

川の流れを天道と人道に例えると・・・

川の流れを例えながら、天道と人道について考えてみます。

川の天道

川は山の高きから流れ低き海に流れ落ちていきます。これは、地球には重力があるためで、地球が誕生してから変わることのない不変的な摂理です。

川の人道1 治水工事

不変的に変わらない川の天道に対して、人が目的を持って行うことが人道になります。

二宮尊徳の時代、大雨が降ると川が氾濫し、田畑が流される被害が多くありました。そこで、川が氾濫しないように、土手をつくり、川の流れを変え、田畑の安定化を図りました。これが人道です。

川の人道2 田に水を引く

川の流れは上流から下流へ、本流に沿って流れ続けます。本流から用水をつくり、田んぼに水を入れ、米を育てることが人道です。

川の水の流れと量は、天道により変わらない。しかし、川の水を田に水を引き込む人道を行うことで、川の水は、流れる水から恵みの水に変化する。

川の人道3 自分を鍛える

みなさんが川で「ゆったりと自然の景色を楽しみたい」と思うときどうしますか?きっと、船やカヌーに乗って川下りすることで、ゆったりと自然を楽しむことができます。

では逆に、川で「自分の体を鍛えたい」と思うときはどうしますか?そうです川の流れに逆らって漕いだり泳いだりすることで、自分の体を鍛えることができます。

川の流れは常に一定です。しかし、そのときの人間の目的と人道によって、川の流れの価値や意味を変えることができます。

心の天道と人道

自然界のものには、天道と人道が存在します。そして、それは私達のなかにも存在しています。

身体の天道と人道

人間の身体は、うまれてから20歳前後まで成長する。それ以降は成長が止まり、寿命に向かって衰えていく。これが天道です。

その天道に対して、衰えていく体を鍛え維持すること、病気などを治療すること、これは人道です。

心の天道と人道

私達の心にも天道と人道があります。

では、心の天道はどんな作用だと思いますか?

心の天道は「解放」です。

仕事や日々のストレスを抱えた後、雄大な自然に出会ったときフワッと気持ちが広がって、心地よい経験をしたことはありませんか?

これは、ストレスで圧縮された心が自然に触れ「解放」されたためです。

私達の心は常に「解放」を求めています。だから、ストレスや辛いことがあると、心が苦しくなるのです。

では、心の「解放」の天道に対して、人道はどんなことでしょうか?

それは「修める」ことです。

修める

行いや人格を正しくする。心や行動が乱れないように整える。

~大辞泉より引用~

心は「解放」が天道で、「修める」が人道です。

現代のストレス社会では、ストレス解消や癒しなど心の「解放」が重要視されています。

もちろん、圧縮された心を天道に沿って解放することも大事です。でも、もっと大事なことは、心を「修める」ことです。

なぜならば、天道の行く末は、必ず荒廃が訪れるからです。

天道の行く末は必ず荒廃する

天道とは、ありのままの自然界です。

ありのままの自然はとても優しく、私達を受け入れ安らぎを与えてくれます。

でも、それは自然のプラスの天道です。自然にはマイナスの天道があります。

それが、自然界にありのまま任せておくと、自然は必ず荒廃することです。

川の流れをありのまま天道に任せておけば、その川は必ず氾濫し、川の周りは荒廃します。

夏の田んぼで草むしり(人道)をしなければ、雑草が茂り田んぼは荒廃します。

雑木林を放置しておけば、大地に光が入らなくなり、雑木林が荒廃します。

天道は人道を加えないと必ず荒廃します

そして、人間の心も一緒です。心をありのまま天道に任せて「解放」を続けていると、その心は必ず荒廃します。

「解放」の天道に対して「修める」という人道を加えることが、人間の魅力を高めていきます。

天道と人道の融合が美しさ

金沢の兼六園や京都のお寺の庭園などを見ると「美しい」と感じるものです。では、なぜ庭園が「美しい」と感じるのでしょうか。

それは、天道と人道が融合しているからです。

自然の天道と景観の人道が融合されたものに、人は心から「美しさ」を感じることができます。

そして、これも人間の心にも当てはまることです。

ただ、心の解放だけを求めて、いまありのままを生きている人と、心の解放と自分の修めることを融合させ生きている人、どちらの人に魅力を感じると思いますか?

僕は、後者のような人間でありたいと思います。みなさんはどうですか?

まとめ

二宮尊徳が活躍した時代、田畑は荒れ、村人も荒れ、村という社会全体が荒廃していました。そのとき、二宮尊徳はお上に対してこう語りました。

「荒地を開くのに荒地の力をもってし、衰貧を救うに、衰貧の力をもってする」

~教養として知っておきたい二宮尊徳より引用~

村人1人ひとりの心を耕し、その村人1人ひとりがやる気を出し田畑を耕すことで、はじめて村が復興する。だから、最初に行うべきことは、村人の心田開発であると、二宮尊徳は考えたのだと思います。

現代の私達にも、二宮尊徳が行った「心田開発」が必要と思うのは、私だけでしょうか。

参考文献

疲れた思考と心をクリアにしませんか?
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