
カウンセリングSORAの関口です。
これまでの自分自身の人生を振り返るとともに、多くの方々から寄せられた人生相談を思い返す中で、私は「人生をより良く生きるためには、人としての生き方を学ぶことが大切だ」と実感しています。
人としての生き方を知ることで、これから歩むべき道が少しずつ見えてくるからです。
そこで、みなさまの人生に少しでも役立つヒントをお届けできればと思い、人としての生き方に学べる書籍を引用しながらブログを綴っています。
しばらくの間は、「イソップ寓話」からの引用をもとに、生き方について一緒に考えていきたいと思います。
今日の言葉
イソップ寓話より引用
196)蛇と蟹
蛇と蟹が一緒に暮らしていた。蟹は蛇に対して率直で親切にふるまったのに、蛇はいつも陰険で邪だった。
蟹は、率直につきあうように、そして自分の気性を見ならうようにと、たえず忠告した。しかし、蛇は聞く耳を持たなかった。
ついに蟹は腹を立て、蛇の寝入るのを見すまして喉を挟み、殺してしまった。そして、真一文字に伸びた蛇を見て言った。
「おい、真っすぐになるなら、俺の忠告を聞かなかったあの時だ。死んだ今では遅いわい」
生前に友に意地悪をし、死んでから善行を積もうとする人間に、この話をしてやるがよい。
【引用元:岩波文庫『イソップ寓話集』著 イソップ/訳 中務哲朗】
本当に変わるべき人は誰なのか|イソップ寓話「蛇と蟹」から考える正しさと怒り
「正しさ」で人は変われるのか
この寓話を読んで、私はカウンセリングの現場を思い出しました。
なぜなら、ここには
「相手のためを思っているはずなのに、関係が壊れていく構図」
が、はっきりと描かれているからです。
蟹は率直で親切でした。
そして、「こうした方がいい」「その生き方は間違っている」と、蛇に忠告し続けます。
蟹の中には、
「自分は正しい」
「相手のために言っている」
という思いがあったのでしょう。
しかし、蛇は変わりませんでした。
人は「変えられる」と抵抗する
カウンセリングの場でよく実感するのは、
人は“変えられようとすると、かえって頑なになる”
という事実です。
たとえ正論であっても、
たとえ善意であっても、
「あなたは間違っている」「あなたは変わるべきだ」という言葉は、
相手にとっては攻撃として受け取られてしまいます。
蛇は、本当に蟹のようになりたいと思っていたのでしょうか。
それとも、「変えようとされること」そのものに、心を閉ざしていたのでしょうか。
怒りが教えてくれるもの
蟹は、忠告を聞いてもらえなかったことで怒りを募らせ、ついには蛇を殺してしまいました。
この怒りは、
- 正しさが否定された怒り
- 思い通りに相手が変わらないことへの苛立ち
だったのかもしれません。
そして最後の言葉、
「死んだ今では遅いわい」
には、理解してもらえなかった悔しさが滲んでいます。
ここで、あらためて問い直したくなります。
本当に向き合うべきだったのは、蛇の性格だったのでしょうか。
本当に変わるべきだった人
カウンセリングでは、次のような問いを大切にします。
- 相手は本当に変わりたいと思っているだろうか
- その「正しさ」は、相手の人生に本当に必要なものだろうか
- 変えられない相手と、どう距離を取るか
- 自分の中にある「正しさへの執着」はないだろうか
もし蟹が、「蛇を変える」ことではなく、「蛇とどう関わるか」「距離をどう保つか」に目を向けていたなら、結末は違っていたかもしれません。
変わるのは、いつも「自分の選択」
人は、自分が望んだときにしか変わりません。
他人の正しさによって変わることは、ほとんどないのです。
相手を変えようとして苦しくなっているとき、本当に見つめ直すべきなのは、「相手」ではなく「自分の関わり方」なのかもしれません。
イソップ寓話「蛇と蟹」は、正しさが人を救うとは限らないこと、そして変えられない相手と、どう向き合うかという問いを、静かに投げかけているように感じます。
今日の問いかけ
「正しさで相手を変えようとする前に、その正しさを疑ってみませんか?」
人は、正しさから相手を変えようとします。
しかし、その正しさは、相手にとっても本当に正しいことなのでしょうか。
自分には正しくても、相手にとっては間違いであることは、決して珍しくありません。
相手を変えようとして苦しくなっているとき、もう一度立ち止まって、自分の関わり方を見つめ直してみる。
それもまた、ひとつの大切な選択なのだと思います。



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