弱いものいじめは誰でもいい

    カウンセリングSORAの関口です。

    これまでの自分自身の人生を振り返るとともに、多くの方々から寄せられた人生相談を思い返す中で、私は「人生をより良く生きるためには、人としての生き方を学ぶことが大切だ」と実感しています。

    人としての生き方を知ることで、これから歩むべき道が少しずつ見えてくるからです。

    そこで、みなさまの人生に少しでも役立つヒントをお届けできればと思い、人としての生き方に学べる書籍を引用しながら、1日1文のブログを綴っています。

    しばらくの間は、「イソップ寓話」からの引用をもとに、生き方について一緒に考えていきたいと思います。

    目次
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    今日の言葉

    イソップ寓話より引用

    23)鶏と山鶉
    家で鶏を飼っている男が、よく馴れた山鶏の出物に会って、一緒に育ててやろうと、買って持ち帰った。
    ところが、鶏たちが突っ突いたり追いかけまわしたりするので、山鶏は、種類が違うために爪はじきされる、と悲観していた。
    しかし、程なくして、鶏たちが喧嘩をし、相手が血を流すまで離れようとしないのを見て、独り言して言うには、 「あいつらに突っ突かれても、もう苦にならない。
    あいつら同士でさえ、容赦しないのが分かったぞ」 賢い人は隣人から暴力を受けても、連中が身内さえ容赦しないのを見たなら、我慢しやすくなる、ということをこの話は説き明かしている。
    【引用元 岩波文庫 イソップ寓話集 著 イソップ 翻訳 中務哲朗】

    弱いものいじめは誰でもいい

    私はかつて、養鶏も手がけている農家で働いていたことがあります。

    鶏舎の中には、鶏たちの間に独自の社会が存在しており、そこでは弱い鶏が他の鶏から執拗に攻撃される様子を目にしました。時には出血するほどの激しいいじめに発展することもありました。

    出血した鶏を放置しておくと、他の鶏たちは本能的にその血に反応し、さらに攻撃を加えるようになります。そのため、負傷した鶏はすぐに隔離しなければなりません。

    けれども、いじめがそれで終わるわけではありません。次は別の、少しでも弱く見える鶏が標的とされ、同じように攻撃されていきます。

    つまり、いじめの対象となる鶏を救っても、次のターゲットが現れるということです。

    こうした光景は、イソップ寓話に描かれる世界とも重なります。どの時代にも、弱者へのいじめは存在し続けているのです。

    いじめられる側にとって、それは深い苦しみを伴う経験です。多くの場合、当事者は「自分が弱いから」「自分に問題があるから」と、自責の念を抱いてしまいます。

    しかし実際には、いじめる側は「攻撃しやすい相手」を選んでいるだけで、誰でもよいのです。彼らは自身のストレスや不満といった内面的な問題を、他者への攻撃という形で発散しているにすぎません。

    いじめの本質は、いじめる側の精神的な未熟さや弱さにあります。決して、いじめられる側に原因があるわけではないのです。

    イソップ寓話集の「鶏と山鶉」を読んで、そんなことを感じました。

    今日の問いかけ

    「ネガティブな感情を心に抱いたとき、どのように対処していますか?」

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