みなさん、こんにちは。
心理カウンセリング空の関口剛史です。
先日、家庭菜園で大根を収穫しました。
小さな種から大きな実りへ育ち、その実りを美味しくいただくことが家庭菜園の楽しみです。
でも、大根から見たら、どんな気持ちになるでしょうか。
果たして、大根は大根を実らせるために育ってきたのでしょうか。
今日はそのことについて書いていきます。
実りのあとに残るもの
家庭菜園での野菜作りの1番の楽しみは、野菜を育てて実りを収穫し、おいしくいただくことです。
10月に蒔い大根も大きな実りとなり、おいしくいただきました。
家庭菜園では、種から実りを得て、いただくことが一連のゴールとなります。
では、大根にとっては大根を育てることがゴールだったのでしょうか。
そもそも、大根は何の為に大きな根を育てるのでしょうか?
それは、種を残すためです。
大根は、根に栄養をたくさん蓄え、春に白い花を咲かせて、最後はたくさんの種を残します。
キャベツや白菜は、芯を寒さから守るために葉をまき、春になると黄色い花を咲かせて、最後は種を残します。
トマトやきゅうりは、果肉内に種があります。時期になると果肉を落とし、果肉は種の栄養となります。
野菜は実るために生きているのではなく、種を残し次世代を育てるために生きているのです。
これは、私たち人間の人生も同じなのだと思う。
例えば、人生のゴールを何らかの「成功」や「幸せ」といった実りに固執してしまうと、その成功や幸せを得たときに、その状態を維持することが優先され、次にプロセスに進めなくなると思う。
自分たちのことをだけを優先して、子孫を残すこと、次世代のことを考えられなくなると、その文明は、最後は朽ちていくことになると思う。それが自然摂理。
実りは必ず朽ちる。そして、次の種を残す。
人生において、何らかの「実り」を得たときは、「次の種をどうするか?」を問うことで、循環で物事を捉えられるようになり、実りを手放すことにも、恐れはなくなるのだと思う。
家庭菜園をしていると「すべては循環で成り立っている」と感じます。
まとめ
家庭菜園にしても人生にしても、私たちは「実りを得る」ことを目的としてしまいます。
でも、自然界では「実る」ことを目的として生きているものありません。
すべてが循環するように設計されています。
私たちも自然界に生きる動物です。その摂理に合わせて生きていくことが、大事なのではないかと最近は感じます。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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