みなさん、こんにちは。
心理カウンセリング空の関口剛史です。
最近のメディアでは宗教問題がクローズアップされているようです。
人類の歴史を振り返れば、人間と宗教は切り離せない関係であることがわかります。
犬や猫などの動物には宗教がないのに、どうして人間社会には宗教があるのでしょうか。
それは、きっと人間には心があるからだと思います。
人間に心があるから神様や宗教が存在する。
そう考えると、信じるものは自分の心ではないでしょうか。
今日は「自分の心の中の神様を信じてあげよう」について書いていきます。
中学3年生の時に受けた宗教の勧誘
私が「神様と同じくらいに自分の心を信じたい」と思うようになったのは、中学3年生のときのクラスメイト(以後A君)から宗教の勧誘を受けたことがきっかけでした。
以前のブログにも書きましたが、私は中学生まで不登校で、あまり人と関わりを持つことができていませんでした。
そんなとき、同じクラスのA君から「関口君と会って話してみたいから会えないかな!」というお誘いを受け、会うことにしました。
後日、A君との待ち合わせのお店に行くと、A君とA君の友人のB君が一緒にいました。
「なにか変だな~」と思いつつA君とB君と会話していると、直ぐに40代男性のCさんが登場しました。
A君から「Cさんはすごい人だから、いろいろと教えてもらうといいよ~」という感じで紹介されました。
そして、A君・B君・Cさんに私が囲まれる状態になったときから、「希望の高校に受かった、宝くじに当った、彼女ができたなど、最近のいいこと話」が始まりました。
やがて「いいことが起きるようになったのは、ある神様を信じるようになってからなんだよね~」との話し合いになり、関口君も「その神様を信じるといいことがあるよ~」と言われました。
私は「希望高校に受かったのは勉強したからであり、宝くじがあったのは宝くじを買ったからだよ。いいことが起きたのは、自分の努力や行動の結果だよね」と返答しました。
すると、「この先の未来は不安だよね。社会がどうなるかわからない、親がいつ病気になるか不安だよね。でも、その神様を信じると不安な気持ちがすっとなくなり楽に生きられるようになれるんだよ」と未来に対しての不安を煽ってきました。
そのときに、私は「わからない未来の事を考え過ぎるから不安になる。だから、神様を信じる以前に、わからない未来のことを考えない方が不安にならないよ」と返しました。
すると、Cさんがイライラした感じで「関口君は学校に行っていないよね。僕らの仲間になると仲間が増えるよ」と、私の心の闇の部分を指摘してきました。
私は「学校に行かないことは、自分が選択していることであり、別に無理に仲間を作りたいとも思っていないので、ご心配いただなくても大丈夫です」と返答しました。
そして、A君に「今日は会って話したいということだったけど、本当は宗教に勧誘することが目的だよね。なぜ、最初からそのことを伝えないの?、嘘ついてまで勧誘をするような宗教は僕は信じられないよ」と伝えたとき、Cさんが激怒して「君は必ず不幸になるよ!」と怒鳴ってきました。
私は「どうして、人を幸せにするための宗教が、他人の不幸を願うのですか?、何かを信じないと幸せになれないようなものは、個人的には違うと思います」とCさんに返しました。
Cさんは、すごい剣幕で「あなたは必ず早死にします」と言い残して、A君・B君を連れてお店を出て行きました。ヤレヤレ
3人体制で、明るい未来を見せて、この先の不安を煽り、個人の心の闇を指摘して、心を揺れ動かして勧誘するのが、この人たちの手法なのだと、この時に学びました。
自分の心の中の神様を信じてあげよう
私たちは心ある弱い人間です。
弱い人間だから、生きていると、苦しくて辛くて絶望を味わうようなときがあります。
そういうときに「この神様を祈り信じれば、あなたは幸せになれます。パワーストーンや壺を買うと、あなたは変われます」と言われると、神様やパワーストーンにすがりたくなるものです。
私も心がどん底にあったときに受けたスピリチュアルカウンセラーに100万の壺を勧められていたら、壺を購入して今も壺を信じていたと思います。
でも、幸せになるために神様を信じてしまうと、すべて神様を基準にした思考になってしまいます。
例えば、物事が上手く運んだときは「神様のおかげ」になり、物事がうまく行かないときは「祈りが足りない・お布施が足りない」などの思考になります。
それは、自分の人生の主役は自分自身なのに、神様が主役になってしまうようなものです。
また、ひとつの神様を強く信じてしまうと、同じ神様を信じない人を批判したり攻撃したりしてしまうことがあります。
幸せになるための争いなんて、本末転倒の話です。
物事がうまく行ったのは、自分の努力や周りの助けがあったからで、物事はうまくいかなかったとのは、計画不足や努力不足であることがほとんどです。
うまくいってもいかなくても、すべては自分の行動と責任にあると思うことで、心は成長や反省ができるものです。
個人がどんな神様を信じるかは自由です。私も心のよりどころとして神様を信じることもあります。
しかし、自分が信じる神を人に勧めるために、希望を見せたり、不安を煽ったり、心の闇を指摘したりするのは、私は中学3年生のときの経験から違うと思っています。
神社に行くと、必ず鏡が置いてあります。
いろいろなと諸説はあると思いますが、なぜ神社に鏡が置いてあるのか?を考えたとき、私は自分にとっての神様は自分の心の中にいるということを実感しました。
だから、神様に祈りたいと思うときほど、自分の心と対話して心の声を信じることを大切にしたいと思っています。
自分の心の中の神様を信じることができたとき、今の試練を乗り越えるヒントが見つかるのだと、個人的には思います。
まとめ
中学3年生の時に勧誘された記憶は、今でも鮮明に覚えています。
きっと、当時の私はA君とお話しできることを楽しみにしていたのだと思います。
しかし、実際には宗教の勧誘だったためA君に裏切られた気持ち、そんなことを考えもせずに平気で勧誘しようとす3人の態度に怒りを感じていたから、記憶に残っているのだと思います。
何かを勧誘するときは、紹介者のAさんと仲間のBさん、より詳しいCさんの3対1の関係性を作り、そこから希望を描かせたり不安を煽るなどをしたりして心を揺れ動かし、契約や入会を勧める手法が多いようです。
そのような手法を使う人たちは、結局は、その人のことを心配しているのではなく、自分たちの利益や目的達成のことしか考えていないのだと思います。
そんな人たちに勧めらた神様を信じるぐらいなら、自分の心の中の神様を信じて生きてきたいものですね。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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