感情とは心を知る情報~根幹枝葉の発せざるは種である~

    みなさん、こんにちは。

    心理カウンセリング空の関口剛史です。

    最近、「あおり運転」が社会問題になっています。

    些細なことで「怒り」を感じてしまい、その怒りを自分で抑えることも解消することもできず、他人に怒りをぶつけて解消させるために、あおり運転をしてしまう。

    その一方で「アンガーマネジメント」も話題となり、怒りをコントロールする考え方も広まってきました。

    人間には喜怒哀楽の感情があります。

    喜びや楽しいのプラスの感情は、誰もがそのまま受け入れられる。

    しかし、怒りや悲しみや不安などのマイナスの感情は、なかなか受け入れられない。

    特に、心にゆとりがなく人間の器が小さいときは、マイナス感情を誰かにぶつけて発散させたり、感情をコントロールして無理に抑えたりする。

    ただ、マイナス感情を他人にぶつけて発散させても、コントロールして抑えたとしても、すぐに次のマイナスを感じる出来事に遭遇してしまうものです。

    そのような心の現象を、二宮金次郎は「根幹枝葉の発せざるは種である」と説きました。

    今回も二宮金次郎の言葉を借りながら「感情とは心を知る情報」についてブログを書いていきます。

    目次
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    根幹枝葉の発せざるは種である

    最初に二宮金次郎の「根幹枝葉の発せざるは種である」の一説をご紹介します。

    ある人が、きょう中庸の講釈を聞きましたが、まことにむずかしい講釈で、聞いてもわかりません。

    「喜怒哀楽のいまだ発せざる、これを中という。」とは、どんな道理なのですか、とたずねた。

    翁はいわれた。

    最もむずかしい道理だ。けれども、これを他の物に移して説明すれば了解できるもんだ。

    たとえばこれを草木でいえば、「根幹枝葉いまだ発せざる、これを種という。」と見るがよい。これを草木に移してみて、それから中というものが何かを考えるのが近道だ。どうだわかったかな。

    その人は感拝して帰った。

    感情とは心を知る情報

    そもそも私たちの感情とは、どんな意味なのでしょうか?

    感情

    物事に感じて起こる気持ち。

    外界の刺激の感覚や観念によって引き起こされる、ある対象に対する態度や価値づけ。

    快・不快、好き・嫌い、恐怖、怒りなど。

    ~デジタル大辞泉より引用~

    そもそも感情とは、誰かによってもたらされるものでしょうか、それとも自分の内面から湧き起こるものなのでしょうか?

    例えば、法定速度50kmの道路を車が走っています。

    Aさんは「法定速度を守る」という価値観(観念)で走っていて、Bさんは「法定速度+20km」という価値観で走っていると、AさんはBさんを「早い」と感じ、BさんはAさんを「遅い」と感じます。

    このとき、「自分の価値観」が正しいと思い込むと、BさんはAさんに「遅い」と認知し「怒り」を感じはじめ「あおり運転」をはじめる結果となります。

    私たちの喜怒哀楽の感情は、他人や現象やルールによってもたらされるものではなく、自分の価値感によってもたらせるものです。

    事実・現象に感情があるのではなく、それを認知した自分がそう感じているだけです。

    誰かに怒りを感じるとき、その人に怒りを感じさせられたのではなく、その人が自分の価値観に合っていないから、内面から怒りが湧き出てくるです。

    それなのに、怒りを他者にぶつけて解消したり、怒りを無理にコントロールしようとしたりすると、自分がわからなくなります。

    自分がわからなくなるから、さらに心にゆとりがなくなり、人間としての器が小さくなり、さらに怒りや悲しみや不安などのマイナス感情を抱きやすくなります。

    「キレれやすい人」が増えたのは、心にゆとりがなく人間としての器が小さくなっている人が増えたからではないでしょうか。

    私たち人間が喜怒哀楽を感じられるのは、1人ひとりの価値観が違うからです。

    二宮金次郎は、中庸(中国の古典)の「喜怒哀楽のいまだ発せざる、これを中という。」を「根幹枝葉いまだ発せざる、これを種という。」と説きました。

    それは、「根幹枝葉を知るには、その種を知りなさい。」と伝えると同時に、人間は「喜怒哀楽をとおして自分を知る」ことが大切であることを伝えようとしていたのではないかと、私は思います。

    人間の価値観(観念)は無意識の領域にあり、価値観を意識的に知ることはできません。

    しかし、喜怒哀楽の感情は無意識の価値観から感じているものであれば、感情を意識化することで価値観に気づくことができます。

    喜怒哀楽の感情を抱いたとき、感情をどうにかしようとするのでなく、その感情から自分の無意識の価値観に気づいてみよう。

    何かに喜びを感じるのは、価値観以上の出来事に遭遇したから。

    何かに怒りを感じるのは、価値感以下の出来事に遭遇したから。

    何かに哀れみを感じるのは、大切な価値観を見失ったから。

    何かに楽しみを感じるのは、今までの価値観にはない新しい何かを見つけられたから。

    「喜怒哀楽のいまだ発せざる、これを自分という。」

    感じる情報と書いて感情です。

    抱いた感情を相手にぶつけて解消するのではなく、コントロールして抑えようするのでもなく、感情をとおして自分を知っていこう。

    自分を知ることで、心にゆとりができ人間の器が広がっていくものだから。

    まとめ

    「感情をコントロールしましょう」という言葉を聞きますが、それは違うと私は思います。

    感情を植物に置き換えたとき、根幹枝葉が喜怒哀楽の感情であるならば、表面に根幹枝葉が出てくるのは、地中に種があるからです。

    地中に種がある以上、表面に出てくる根幹枝葉をコントロールしても、いたちごっこになるだけです。

    逆に、感情を自分の心を知る種と考えることで、感情を抱いたときに「どうして、こう感じるのだろう?」と自分に問いかけることができ、無意識の価値観に気づくことができます。

    そして、価値観に気づくことができたとき、その感情は自然と消え失せ、感情を誰かにぶつける必要性はなくなりまます。

    自分を知ることで、心にゆとりができて、人間の器が大きくなります。

    感情をとおして、自分を知っていきましょう。

    ここまでお読みいただきありがとうございました。

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