不自由の中にある自由

みなさん、こんにちは。

心理カウンセリング空の関口です。

息子のサッカーの試合を見ていると、サッカーはとても不自由な競技だと思う。

手を使うことができればもっと楽なのに、「オフサイド」がなければもっと簡単に点数を入れられるのに、ルールという制約がなければ、もっと自由になれるのに。

バスケットボールはボールを持って3歩以上歩いてはならない、野球は細いバットでボールを打たなくてはならない、ラグビーは自分よりも前にパスを出してはならない、どうして球技スポーツはプレイヤーが不自由なルールばかりなのだろうか?

それは、不自由なルールがあるからこそ、そこにプレイヤーとしての楽しみと感動があるから。

敵も味方もプレイヤー全員が「不自由なルール」を受け入れ、そのルールの中で、ドリブルやパス・チームワークを発揮するから、ゲームに楽しみや感動が生まれる。

 

私たちが生きていくこと、それもとても不自由なこと。

物事が自分の思いどおりに進まないし、自分の思いどりに人は動かない。

もっと自由になりたいと思うのだけど、逆にどんどん自分が不自由になっていく。

 

ところで、自由とはどんな状態なのでしょうか?

なにもルールがないことが自由なのでしょうか?

すべてが自分の思いどおりになることが自由なのでしょうか?

そんな自由の先に、楽しみや感動はあるのでしょうか?

 

私たちは、とても不自由な中で生きている。

不自由の中で生きているからこそ、色々と考えたり、誰かと助け合ったり、新しいアイディアが閃いたりするもの。

「自分は不自由だ」と感じるときは、その不自由を受け入れよう。

生きるとは不自由であることを受け入れることができたとき、きっと本当の楽しみや感動、自分としての自由が見いだせるものだから。

私たちは長い人生を歩む間に、どうにもならない不愉快な立場に立たされることが多い。

それはどうにもしようがない。選択は私たちの自由である。

そういう立場を天命として受け入れ、それに自分を順応させることができるか、あるいは、一生を台無しにしてまでも反抗し、神経衰弱になるか、いずれかである。

デール・カーネギ Dカーネギー 名言集より引用

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