みなさん、こんにちは。
心理カウンセリング空の関口です。
生きていると大なり小なり「人生の壁」にぶつかることがありますね。
「人生の壁」にぶつかると、物事が思いどおりに進まなくなり、やる気がくじかれ、先のビジョンを見失い、自分に自信も持てなくなってしまう。
自信を失うと、壁が大きくなるのか、それとも自分が小さくなるのか、いずれにしても「目の前の壁を大きく感じてしまい、もう乗り越えることができない」と思ってしまう。
もしかしたら、いまこれを読んでいただいているあなたも「人生の壁」に直面しているのかもしれません。
私も何度も「人生の壁」にぶつかってきました。
時には大きな壁に押し潰され、自分を見失ったこともありました。
しかし、今思うと「人生の壁」は、ぶつかって自分を見失うためにあるのではなく、心を広げるために乗り越えるものだと感じます。
いま、大きな壁に直面して悩んでいる人に、「壁は心を広げるためのもの」とブログで書いたところで、信じてもらうことはできないでしょう。
壁にぶつかり挫折していたときの私もそうでした。
しかし、鶏舎で「にわとり」の行動特性を見たとき、壁が越えられないのではなく、乗り越えようとしていないだけだと気づかされました。
今日は「にわとり」が越えられない壁について書いていきます。
「にわとり」が越えられない壁
「にわとり」は高く飛べることご存じですか。
「にわとり」の羽は退化しているため、他の鳥のように継続的に空高く飛ぶことはできません。しかし、脚力(ももの筋肉)があるため、1mぐらいの高さまで軽々ジャンプすることができます。
でも、「にわとり」はその脚力を活かそうとしません。
以前、勤めていたファームでは、平飼いの養鶏をしていました。
日本の一般的な養鶏は、「にわとり」をカゴの中で飼育して玉子を採るのですが、平飼い養鶏の場合、広い鶏舎の中で「にわとり」が自由に動きまわり、その中に人間が入り玉子を採ります。
玉子を採る際、鶏舎から「にわとり」が逃げ出さないようにするため、鶏舎の出口に10 cmほどの段差があります。
出口に10 cmの段差があることで、「にわとり」は鶏舎の外に出なくなります。
では、どうして10 cmの段差を「にわとり」は跳び越えようとしないのでしょうか?
それは、「にわとり」にとって10 cmの段差は、それなりに足を上げる必用がある高さであり、一方でジャンプしてまで跳び越える高さでないからです。
鶏舎の出口に10 cmという中途半端の高さ(心理的抵抗)をあえて作ることで、「にわとり」の外への1歩を止めているのです
この「にわとり」の行動特性を見たときに、「私も一緒だな」と思いました。
「にわとり」にとって、鶏舎の中は安全地帯。
餌と水も貰えるし、同じような仲間がいるし、何より外敵に襲われる恐れもない。
しかし、そこは何の変化がない枠の中の世界。
その枠の出口には、跳び越えられそうで跳び越えられない中途半端な段差がある。
出口の段差を乗り越えようと思えば、軽々跳び越える能力があるのに、足を高く上げるのが面倒だから、思いきってジャンプするのが怖いから、そうやって枠の中に留まってしまう。
人間も同じだと思いませんか?
「人生の壁」にぶつかったとき、それは今までの枠の出口に立っているとき。
今までの枠の出口には段差(心理抵抗)がある。だから、段差を乗り越えるのが面倒と感じたり、思いっきりジャンプして跳び越えることに不安を感じたりしてしまう。
もちろん、その枠の中に留まっていてもいい。
「にわとり」のように、与えられた枠の中で「なにも考えず」に過ごした方が安心で楽だと思う。
でも、それは生きていて楽しくない。
「人生の壁」にぶつかったとき、それは次のステップに上がれるとき。心を広げるチャンス。
人生の壁に直面しているとき、その壁が大きく感じるから「無理だ」と思えてしまうものですが、それは勘違い。
本当は、壁が大きいのではなく、あなたの心が小さくなっているだけ。壁の先の世界を想像し心を広げていけば、壁は相対的に小さくなっていく。
そして、壁を乗り越え振り返ったとき「あれ、あの壁は10 cmしかなかったんだ」と気づくと同時に、壁を乗り越えられたことに新たな自信を得ることができる。
壁を乗り越えると、過去の悩みがちっぽけに感じられる。それは、それだけ心が広がった証。
そう考えると「人生の壁」とは、心を広げるきっかけに過ぎないのかもしれませんね。
最後に聖書の一節をご紹介します。
「試練はそれを乗り越えられない者には訪れない」
まとめ
私は「うつ病」という人生の大きな壁にぶつかり深く挫折しているときに「にわとり」の行動特性を知りました。
「にわとり」は1mを飛べる脚力があるのに、10 cmの壁を跳び越えようとは思っていない。跳び越える能力があるのに、鶏舎の先にある自由に1歩を踏み出そうとしていない。
この光景を見たとき、私も「にわとり」と一緒だと痛感しました。
本当は乗り越えられる壁なのに、少し無理をして足を上げないとダメとか、思いっきりジャンプするのが怖いとか、できないことばかりを言い訳にして、実際に乗り越える努力すらしていない自分に気づきました。
「にわとり」と私はそっくりだと思いました。
でも、人間と「にわとり」は違いますよね。
「にわとり」は考えることができませんが、人間は考えることができます。
考えることができる人間だから、ときに壁にぶちあたります。逆に、考えることができるからこそ、その壁を乗り越え、心を広げられるのも人間です。
あなたは「にわとり」のように生きたいですか? それとも「人間らしく」生きたいですか?
私は「にわとり」と自分がそっくりだと思ったとき、「人間らしく」生きようと心に決めました。
もちろん、今の私も色々な壁にぶちあたります。そういうときは、今回の壁も乗り越えられること、壁にぶつかった分だけ心を広げられることを信じて、1歩前へを踏み出す勇気を大切にしています。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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