みなさん、こんにちは。
心理カウンセリング空の関口です。
受験や仕事に失敗をした・・・、友達のLINEグループから仲間外れにされた・・・、うつ病になってしまった・・・、そういうとき「自分には価値がない」と思うことがありますよね。
私も以前は「自分に価値がない」と思っていました。「価値がない自分なんて消えてしまったほうがいい」と思ったこともありました。
でも、自分の価値とは、いったいどんな価値なのでしょうか?誰にとっての価値なのでしょうか?
自分の価値は自分にはわからないものです。
今日は大根と猫の例え話を入れながら「自分の価値」について考えていきます。
大根の価値は?
ここに1本の大根があります。
この1本の大根、あなたにとってどんな価値があるでしょうか。
サラダの主役としての大根、サンマの付け合わせとしての脇役としての大根、おでんの中の共同体としての大根。
1本の大根でも、料理ひとつで大根の価値は大きくかわります。
また、大根は食材としての価値以外にも価値があります。
今日あなたが食べる大根。その大根はいまから3ヶ月前、まだ小さな種でした。
これが「大根の種」と知らない人には、価値のない小さな粒に見えてしまうかもしれない。
でも、種を蒔いた人は「無事に発芽するかな?」と期待と不安の「ワクワク」を感じられる。
種を蒔いてしばらくすると小さな芽が芽生える。
もしかしたら、大根自身は「こんなちっぽけな芽で何ができるんだ・・・」と思っているかもしれない。
でも、種を蒔いた人は、小さな種から無事に芽が出たことに「よろこび」を感じられる。
無事に育った大根は一斉に収穫期を迎える。
多くの大根は出荷され、ある大根はサラダに、ある大根はおでんに入り、大根として多くの人に「おいしい」価値を提供する。
その一方で、歪んでしまった大根、傷がついてしまった大根は、出荷されずに畑に残ってしまう。
でも、まだ大根としての価値が終わったわけではない。
畑に残った大根は、子供達に収穫体験として「よろこんで」もらえる。
しかも、自分で抜いた大根は、どんなに歪んでいようが、どんなに傷をついていようが、子供達は「おいしく」食べてくれる。
子供達にも抜いてもらえなかった大根。その大根には価値がないのだろうか?
いえいえ、畑に残ってしまった大根は白い花を咲かせる。
大根の花を見た人に「大根も花が咲くんだ!」と「おどろき」を与えてくれる。
最後の最後まで畑に残ってしまった大根に価値はないのだろうか?
花が咲き終えた大根は、根の養分がなくなりもう大根には見えない・・・。
でも、最後の最後に残った大根は、小さな種をたくさん残す。
そして、その小さな種をまた畑に蒔けば、再び大根として、多くの人にいろいろな価値を提供することができる。
大根の価値、それは食材として「食べられる」ことだけではありません。
大根は、関わったすべての人に多くの価値を提供してくれています。
大根自身がそのことに気づいているかどうかは別として・・・
あなたにとっての猫の価値は?
2017年は猫ブームでしたね。猫カフェや猫写真集・猫島も有名になりました。
あなたにとって猫はどんな価値がありますか?
猫好きの人には、猫を見ていると「かわいい」や「癒される」・「和む」などのプラスの感情を味わえ、価値ある存在になります。
逆に、猫嫌いの人は「鼻がかゆくなる」・「犬に比べて自分勝手」などの理由でマイナスな感情を味わうので、価値がない存在になります。
では、猫本人は「自分に価値がある」とか思っているのでしょうか?
「自分には猫としての価値がない・・・」、「あの三毛猫に比べて、私の毛並みはよくない。だから私には価値がない」と落ち込んでいる猫を見たことがありますか?
猫ブームが起きようと、猫に価値があろとうとなかろうと、毛並みがどうであろうと、猫は猫です。猫は自分の価値なんて考えてない。
だって、猫そのものに「価値」があるのではなく、猫を見た人が勝手に「価値」を感じているだけだから。
同じ猫を見ても、猫好きの人は「プラスの価値」を感じ、猫嫌いの人は「マイナスの価値」を感じます。
よって、「価値」とは相手の主観(好み)によって「プラス」にも「マイナス」にもなるもの。
人間社会が猫ブームになろうとも、猫は猫として今日を生きているだけ。
そんな猫の「自分らしい生き方」に私たち人間は「癒される」のかもしれません。
自分の価値は自分にはわからない
大根の価値は、大根に関わる相手のタイミングで変わります。
食材としての「おいしさ」や収穫体験としての「たのしさ」の異なる価値が大根にはあります。
猫の価値は、猫に関わる人が「猫好きか否か」で変わります。猫好きの人から見れば猫は「価値ある存在」ですが、猫嫌いの人から見れば「価値がない存在」です。
大根にしろ猫にしろ「自分の価値」とは、自分に関わる人のタイミングと主観により変わるものです。
よって、「自分の価値」は自分ではわからないものなのです。
価値とは関わる相手が勝手に感じとることだから。
「自分に価値がない」と思うとき・・・
生きていると「自分に価値がない」と思うときがありますね。
でも、「自分の価値」とはいったどんな価値なのでしょうか?誰にとっての価値なのでしょうか?
「自分に価値がない」と思うとき、もしかしたら、誰かの価値基準で自分のことを見ていませんか?
勉強できないから、受験に失敗したから自分には価値がない・・・、友達のLINEグループから仲間はずれにされてしまったから自分には価値がない、うつ病になってしまったから自分には価値がない・・・
社会や友達など、誰かの価値基準で自分のことを見てしまうから「自分に価値がない」と思っているだけではないのかな。
大根にしろ猫にしろ「自分の価値」なんて考えていない。
ただ、大根や猫として今を自分らしく生きているだけ。
あなたがあなたらしく生きて、それをどう感じるのかは、あなたに関わる相手のタイミングと価値基準の問題で、あなたにはどうすることもできないこと。
あなたがあなたらしく生きることが、本当の「あなたの価値」ではないのかな。
今まであなたが生きてきたなかで、あなたの存在そのものに価値を感じている人もたくさんいる。それに、今日1日を普通に生きていられることだって、とっても価値があることだよね。
「自分の価値」を探したいとき、少しだけあなたらしさの表現をしてみよう。
あなたの本当の価値は、あなたらしさの後に勝手についてくるものだからね。
まとめ
悩んでいるときや挫折しているとき、「自分には価値がない」と、どうしても考えてしまいますよね。
でも、その価値基準は、相手の主観で大きく変わるものです。
それなのに、相手の主観や価値基準に自分を合せてしまうと、最後は自分を見失ってしまいます。
「自分に価値がない」と思うのは、心の底で「自分らしく生きたい」と思っているからではないのかな。
自分らしく生きること、自分を表現すること、それは少し勇気がいることかもしれない。もしかしたら、友達に嫌われてしまうかもしれない。
それでも、ちょっと勇気をふりしぼって、自分らしく自分を少し表現してみようよ。
誰かに決められた価値基準に合せるよりも、自分の価値は自分で少しずつ育てていくほうが、人生は楽しいものだから。
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