「イメージ」と「わくわく」だけでは、米は実らない

    みなさん、こんにちは。

    心理カウンセリング空の関口です。

    2月4日の立春を迎え、暦の上では春を迎えはじめました。

    寒く厳しい冬が終わりポカポカ陽気の春。さくらが咲き、新芽がいぶき、体も心もゆるむ季節。 春は、新しいことがはじまりそうで、なんだか「わくわく」する季節です。

    この「わくわく」という気持ち。新しいことをはじめるときにとても大事な気持ちですが、最近「わくわく」の言葉の意味が違った意味で使われているように感じます。

    例えば、自分の夢を実現するために「わくわく」する夢をリアルに「イメージ」することで、その「夢が叶います」という言葉を耳にします。

    「わくわく」する夢を「イメージ」するだけで夢が叶うのであれば、私もそうしたいのですが・・・ 、前年ながら、「わくわく」と「イメージ」だけで夢が叶うことはありません。

    なぜならば、それはとても【不自然なこと】だからです。

    今日は「わくわく」と「イメージ」だけでは、夢が叶わない理由を、二宮金次郎の『道歌』と『言葉』を借りながら説明していきたいと思います。

    目次
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    田を耕し、種を蒔くから、はじめて実る

    田を深く よく耕して養へば 祈らずとても 米や実らん(※1)

    田んぼでお米を育てるとき、まずは、田んぼをやわらかく耕すことからはじまります。

    いまはトラクターで田を耕すことができますが、昔は田を耕すことはとても大変な重労働だったと思います。

    でも、この作業を怠ると、秋に実りを迎えることはできません。

    種まき前の、田んぼを耕す作業は「しんどい」作業です。とてもとても「わくわく」する気持ちになれません。

    また、春の田を見て秋の実りを「イメージ」しただけでは、やはり田に米は実りません。

    秋の実りを迎えるには、田を耕し種を蒔くという具体的な作業が必要になります。これが自然界の摂理です。

    だから、「わくわく」と「イメージ」だけで夢が叶うことは、とても【不自然】のことなのです。

    種を蒔き、苗を植える「わくわく」

    田の草は あるじの心 次第にて 米ともなれば 荒地ともなる (※2)

    「わくわく」という言葉の意味を辞書で調べると、2つの意味があることがわかります。

    わくわく(※3)

    うれしさ・楽しさ・期待(や心配)などで、心が落ち着かない状態になること。

    古くは、心配で心が騒ぐさまにも用いた

    「わくわく」という言葉は、嬉しさ・期待感だけを表わす言葉ではなく、期待や心配など心が落ち着かない様を表わしたものです。

    実際に米の種を蒔くと「早く芽がでないかな~」といった期待に満ちた「わくわく」感と、「無事に芽がでるかな・・・」といった不安の「わくわく」感があります。

    また、田に苗を植えれば、秋に無事に実るかな~」といった期待と「田んぼが雑草に覆われないかな・・・」といった不安の両面を感じられます。

    春に種を蒔き田に苗を植えれば米は自然と育ちます。その成長にとても「わくわく」します。

    でも、自然の育ちのままでは、米はよりよく育ちません。米がよりよく育つためには田を耕し草をむしり水を管理する日々の地道の作業が必要です。

    「わくわく」という期待感だけで夢を設定すると、夢が叶うことに期待はするけど、夢がよりよく育つための地道の作業を見落とします。

    だから、夢を設定した後に思ったようにならないと「この夢はワクワクできない」と考えて、途中で夢を簡単に諦めてしまうのです。

    米をよりよく実らせるには、田が荒れないように日々の地道の管理が重要な作業になります。

    田を日々コツコツと管理するから、秋に実りを迎えられる。これは、米も夢も同じ事ではないでしょうか。

    「わくわく」とはエネルギーであり、目的ではない

    蒔植えて 時に耕し くさぎりて 実り待つ身は 楽しかりけり(※2)

    「わくわく」とは、期待や心配など心が落ち着かない様を表わしたものです。

    田に苗を植えると、稲はスクスク成長をはじめます。

    それは、とても期待に満ちた光景です。

    でも、それと同時に苗を植えたからこそ空梅雨や長雨や田の雑草の繁殖、収穫前の台風の到来など、自然界の天候にも心配することにもなります。

    暑い夏に雑草が繁殖すれば「田に稲を植えなければよかった」と思いたくなります。収穫前に台風で稲が倒されれば「こんなことになるなら、種を蒔かなければよかった」と嘆きたくなります。

    何か新しい事を起すと、自分の思いどおりにならない「試練」に直面するものです。試練が訪れたとき、それに対処するためのエネルギーが必要になります。

    暑い夏に草むしりをすること、倒された稲を起すことには、それ相応のエネルギーが必要です。そのエネルギーこそが「わくわく」という期待感になるのです。

    「わくわく」するような夢を設定するのではなく、試練に直面したときに、その試練を乗り越えられるぐらいに「わくわく」できるような夢を設定することがポイントです。

    「わくわく」することは目的ではなく試練を乗り越えるためのエネルギーです。

    このポイントを間違うと、夢を設定して試練に直面したときに「この夢はわくわくできないから」と考えて、すぐに夢を諦め次の「わくわく」できる夢を探し始めてしまいます。

    でも、それは田に雑草がはえたときに「この田んぼは、私にはあっていない」と考えて、次の田んぼを探しはじめるようなもの。それでは、いつまでたっても、実りを迎えることはできません。

    「イメージ」から種を見つけ「わくわく」しながら育てること

    願わずとも、祈らずとも

    ある人が言った。
    「私は薄運なのか、神明の加護がないのか、することはうまくいかず、思うことは食いちがってしまいます」と。

    翁(二宮金次郎)は諭して言われた。
    「おまえは間違っているのだ。運がよくないわけでもなく、神明の加護がないわけもない。それが神明の加護であり、運がよいということなのだ。ただおまえの願っているところと、することがちがっているのだ。おまえは瓜を植えてナスが欲しいと思い、麦を蒔いて米を望んでいるのだ。願うことができないのではなく、できないことを願っているからだ」(※2)

    秋に米の実りを得たいのであれば、春に米の種を蒔かなければなりません。夏にナスが欲しいと思えば春にナスの種を蒔かなければなりません。

    では、春に蒔くべくその種は一体どこにあるのでしょうか?

    米の種は秋に収穫した米のなかに、ナスの種は夏に収穫したナスの実のなかにあります。すべての種はその実りの中にあります。

    では、夢の種は一体どこにあるのでしょうか?

    夢は米やナスのような有形ではありません。だから、かたちある夢の種も存在しません。(かたちある夢の種があれば、人生はシンプルでいいのですが・・・)

    すべての種は、その実りの中にある

    よって、夢を育てるための種もその夢の中にあります。だから、私達は想像力を使って夢をリアルに「イメージ」することから、その種を作り出すことができるのです。

    「イメージ」することで間違われていることが、「イメージ」するだけで「夢が叶い現実化される」と捉えられていることです。 「イメージ」することは、夢を叶えるための目的ではなく、夢を叶えるために必要な種を作りだすための手段です。

    例えば「楽しく生きたい」とイメージしても日々不平不満を言っていたのでは楽しく生きることはできません。それは瓜を植えてナスが欲しいと望むことと一緒だからです。

    では「イメージ」した夢から種を作り出すためには、どうすればいいでしょうか?

    それは「イメージ」した夢を「ブレークダウン」し、今の自分が行動できるような小さな種にしていくことです。

    「楽しく生きたい」と夢をイメージしたのであれば、とりあえず不平不満を言いたくなるようなときに「笑顔になってみる」ことです。

    それを行うと心は期待と心配の「わくわく」した気持ちになります。その「わくわく」した心の様で日々コツコツと行動を積み上げていくことで、はじめて種は実りに育つのです。

    まとめ

    績小為大

    家の経済を左右する大きな田んぼと、捨て置いても問題ないような子どもでも耕せる小さな田んぼ。

    あなたがこれら2つの田んぼを持っていたら、どちらから耕すだろうか?この場合、絶対に小さな田んぼから耕さなければならない。

    大きな田んぼを耕している間に、小さな田んぼもまた手の施しようがないほど荒れてしまい、ついにはどちらの田の実りも失うかも知れないからである。

    いつでも、やりやすい小さな実践をおろそかにせず、大切にすることからはじめなさい。(※2)

    心に大きな夢をイメージした後は、必ず大きな1歩を進みだそうとします。

    最初は「わくわく」と夢と期待に胸を膨らませ、大きな1歩でも歩み続けることができるのですが・・・、その期待だけの「わくわく」感では、直ぐにエネルギーが尽きて、そのイメージを諦めてしまいます。

    自然界を観察していると、簡単に実りを迎えられる作物はありません。すべては、小さな種からはじまり、芽を出し、花を咲かせ、実りの時期を迎える。 そして、その実りの中に、新たな種が宿り、また次の世代へとつながっていく。

    きっと、この成長の過程は、作物も私達の心も一緒なのだと思います。

    いま、みなさんの心の中にある小さな種はどんな種ですか?その種を少しずつ育てることからはじめてみましょう。

    参考文献

    ※1 二宮尊徳『道歌集』

    参考URL:http://www.geocities.jp/sybrma/398sontoku.douka2.html

    ※2 中桐万里子著 『二宮金次郎の幸福論』 致知出版社

    ※3 デジタル大辞泉

    上記より引用させていただきました。

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