みなさん、こんにちは。
心理カウンセリング空の関口です。
今日は二宮金次郎の一粒の米をテーマに書いていきます。
まずは二宮金次郎のひとつの言葉をご紹介します。
ここに一粒の米があるとする。
すぐにこれを食ってしまえば、それは、ただの一粒。
この一粒だが、もし推し譲ってこれを蒔き秋の実りを待ってから食えば、百粒食ってもまだ余りがある。
これこそ万世かわらぬ人道なのだ。~二宮金次郎の幸福論より引用~
二宮金次郎が活躍した1800年代の日本では多くの自然災害や天保の大飢饉が起きた時代でした。
天保の大飢饉(1833年~1839年間)では、洪水や冷害によりお米を収穫することができず、お米の価格が高騰し、多くの餓死者を出したと言われています。
日本中が腹を空かし、誰もが全ての米粒を食べてしまいたいと願っていた時代に、二宮金次郎は、目先の空腹に囚われずに米一粒を残し田畑に蒔く大切さを伝えていました。
それから、約200年後の2015年の現代。現代の日本では、誰もが当時のように食べることに困ることもなく、何でもあたりまえのように食べることができるようになりました。そして、文明技術の発達により、夏は涼しく冬は暖かく、必要な情報は手持ちのスマホで直ぐに調べられるなど、とても快適に便利に過ごせる時代になりました。
でも、その便利な生活ができる現代社会の背景には膨大なエネルギーが消費されています。
人間が自然界の摂理に逆らうときは、必ず自然界のエネルギーを消費する
例えば、寒い日に部屋を暖めるにも、スマホで何かを調べるにも電力エネルギーを消費します。自分の足よりも早く移動したいときには化石エネルギーを消費します。自分の“いのち”を継続させるためには、植物や動物などの他の“いのち”のエネルギーをいただきます。
私達人間の欲は止まることを知りません。もっと便利にもっと快適に、もっともっと・・・・
もちろん、その欲があるから文明技術が発達し、そのおかげで現代の私達は便利で豊かな生活をしています。しかし、いつまでも、人間がもっと便利にもっと快適にと求め続けると、いつかはエネルギーの最後の一粒までも食いつぶしてしまうかもしれません。
現在の石油の埋蔵量と消費量を計算すると、石油は約53年で枯渇すると言われています。
果たして、現代の大人は、未来の大人達(今の子ども達)へ最後の一粒を残せるでしょうか?
二宮金次郎はこうも言っています。
夏から秋になる頃は百穀がまだ熟していないが、どうして秋の実りがないことがあろう。
わせ・なかて・おくてが相次いで熟し、ついに百穀ことごとく熟すようになる。熟しないものを心配するのが、これまた人情の常である。
しかし、まだ熟しないものを心配するより、すでに熟したものを取入れる方がどれをほど良いかわからぬ。~二宮金次郎の幸福論より引用~
エネルギーは自然界により長い年月をかけて作られたものですので、残念ながら簡単に増やすことはできません。
しかし、今までのあたりまえの快適さや便利さを見直し、エネルギーの消費量を減らしていくことはできます。
そのためには、現代の大人達が今の快適で便利な生活が、あたりまえのものではなくとてもかけがえのない貴重なものであることに、ひとりひとりがしっかりと認識すること。
そして、大人は子ども達へ、今のあたりまえの生活が実はとっても豊かであることをしっかりと伝えていくことが、これからのエネルギー問題に対する最後の一粒を私達の未来へと蒔くことになるのではないのでしょうか?
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