おはようございます。
心理カウンセリング 空の関口です。
9月に入り、日差しが強い日もありますが、風がだいぶひんやりとしていて、田んぼでの作業も心地良い感じになってきました。
今年のお米もスクスクと成長をしています。
さて、今日も二宮金次郎さんの言葉を借りて、感じることを書いていきます。
春植えて 秋のみのりを 願う身は、いく世経るとも 安さ楽しさ
中桐 万里子著 「二宮金次郎の幸福論」より引用
春に種を蒔くから、秋に実ることを願い、それがまた楽しみでもある。
もし、種を蒔くときに、確実に実りがあるとわかっていたら、そこには願いも楽しみもありません。
実るか実らないか、わからないからこそ、願いを行動に変えて、そこに楽しさや達成感がうまれます。
田植えの直後は、こんな小さな苗で無事にお米になるのかな?風に倒されたりしないかな?と毎年不安に感じるものです。
そんな心配や不安があったからこそ、お米が無事に成長をしていく姿を見ると、安心と嬉しさを感じられるのだと思います。
種を蒔くこと苗を植えることは、0から1へと歩むこと。
1歩目の歩みには、実りへの期待感と実らないかもという不安感もあるものです。
でも、種を蒔かなければ、苗を植えなければ、絶対に何も変わらないし実りません。
原因がなければ結果は訪れません。
0のままでは何も変化はしない。0から1へと歩むこと。
例え、小さな1歩だとしても、すべてはそこから始まるのだと思います。
今回ご紹介した本
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