
ウンセリングSORAの関口です。
これまでの自分自身の人生を振り返るとともに、多くの方々から寄せられた人生相談を思い返す中で、私は「人生をより良く生きるためには、人としての生き方を学ぶことが大切だ」と実感しています。
人としての生き方を知ることで、これから歩むべき道が少しずつ見えてくるからです。
そこで、みなさまの人生に少しでも役立つヒントをお届けできればと思い、人としての生き方に学べる書籍を引用しながらブログを綴っています。
しばらくの間は、「イソップ寓話」からの引用をもとに、生き方について一緒に考えていきたいと思います。
今日の言葉
イソップ寓話より引用
174)旅人と運の女神
旅人が長い旅路を終え、綿のように疲れて、井戸辺に倒れこんで眠っていた。今にも井戸にはまりそうになった時、運の女神が現れ、彼を起こして言うには、「これお前、もし井戸に落ちていたら、自分の不注意は棚に上げて、私を咎めるところであろう」このように、多くの人間は自分のせいで不運な目に遭いながら、神々を非難する。
【引用元 岩波文庫 イソップ寓話集 著 イソップ 翻訳 中務哲朗】
幸運も不運も神頼みしない
以前、ある宗教を信仰している方と会話をしました。
その方は「自分が幸せなのは神様のおかげだ」と言いました。
そこで私は「もし辛いことがあった場合は、どう考えるのですか?」と尋ねてみました。
すると「それは神様への祈りが足りないからだ」と答えられました。
「幸せは神様のおかげ」「不幸は祈りが足りないから」――少し一方的な解釈だなと感じました
結局のところ、その方の人生は神様の采配によって意味づけられていたのです。
イソップ寓話の「旅人と運の女神」には「不運は自分のせいなのに神々を非難する」という教えがあります。
この寓話に触れて、私は新たな視点を加えたいと思います。
依存的に神を信じてしまうと、幸運も不運もすべて神様次第になってしまうということを。
もちろん、ご本人がそれで納得されているのであれば、第三者がとやかく言うことではありません。
ただ、私自身は、幸運や不運といった運命は「自分の生き方次第で左右されるもの」だと思っています。
イソップ寓話「旅人と運の女神」を読みながら、そんなことを改めて感じました。
今日の問いかけ
「みなさんは、幸運や不運をどこに委ねていますか?」
あなたは、幸運や不運を「神様の采配」と考えますか、 それとも「自分の選択と行動の結果」だと考えますか。
そして、もしあなたが神様だとしたら、どちらの人を心から応援したいと思いますか。
きっと神様も同じ気持ちだと思います。
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