
カウンセリングSORAの関口です。
自分自身の人生を振り返ったとき、色々な方からの人生相談を振り返ると、人生をより良く生きて行くには、人としての生き方を学ぶことが大切だと実感しています。
人としての生き方を知ることで、これから進むべき道が見えてくるからです。
そこで、人としての生き方の学びになるような本を引用しながら1日1文のブログを書いています。
しばらくは「二宮金次郎 夜話」を引用しながら、生き方について考えていきます。
今日の言葉
二宮翁夜話より引用
174〕万事、刃先を手前にせよ
翁のことばに、世の中で刃物をやりとりするのに、刃の方を自分の方に向け、柄の方を先方に向けて出しているが、これが道徳の本意なのだ。この心を押し広めることができれば、道徳は完全だろうし、人々がみんなそうなれば、天下は太平だ。刃先を手前にして先方に向けないのは、万一間違いがあったときに、わが身には傷がついても、ひとに傷をつけまいという気持なのだ。だから、万事そのような心掛で、自分の身上には損をしても、ひとの身上に損はかけまい、自分の名誉はそこねても、他人の名誉には傷をつけまいという精神ならば、道徳の本体は完全だといえよう。それから先はこの心を押し広めるだけだ。
【引用 二宮翁夜話(上) 福住正兄:原著 佐々井典比古:訳注】
その言葉、誰に向けていますか?
ハサミを人に手渡すとき、刃の向きはどちらにすべきでしょうか。
一般的には、相手に危険を及ぼさないように、刃先を自分に向けて、柄(え)側を相手に差し出します。
危険な物事は、相手を思いやり、自分に向けておく。 これが、道徳の本意です。
私たちの言葉も、ハサミと同じように扱うべきかもしれません。
言葉は使い方によって、人の心を深く傷つけることがあります。 だからこそ、言葉の向け先も、自分に向けるか、他人に向けるかは選ぶことができます。
特に、怒りや苛立ちといった攻撃的な感情がわいたとき、まずはその感情を外に向ける前に、自分の内側で丁寧に見つめ直してみる。
「なぜ私は今、こんなにも反応しているのだろう」と、自分自身に問いかけてみることで、言葉の刃が他人を傷つける前に、やわらかく手放せることがあります。
決して、すべてを我慢して自分を傷つける必要はありません。
自分の心を守りながらも、他人を思いやる――そんなバランスの取り方が、現代における道徳心ではないでしょうか。
最近では、SNSなどを通じて、攻撃的な言葉が容易に拡散される時代です。
ハサミを手渡すときは刃先を自分に向けるのに、なぜ言葉の刃は他人に向けてしまうのか。
そんな問いを胸に、言葉の扱い方についても、もう一度見直してみたいものです。
二宮金次郎の夜話174段「万事、刃先を手前にせよ」を読んで、そんなことを考えました。
コメント