みなさん、こんにちは。
心理カウンセリング空の関口剛史です。
最近、子ども達が自由に遊べる場所が少なくなっています。
「うるさいから」「危険だから」など、大人の都合で自由な遊びを禁止された子ども達は想像力を育むことができず、自分勝手な大人になってしまいます。
今日は「子どもの教育に最も必要なこと」について書いていきます。
子ども達の自由な遊び場が少なくなる現状
先日、自宅近くの遊歩道を歩いていたとき、1枚の案内板に目がとまりました
xxx緑道は散歩道です。歩いている人に迷惑をかけないように致しましょう。
この案内板、よく見ると「迷惑かけないように遊びましょう」が「迷惑かけないように致しましょう」へ上書きされています。
この案内板は、子ども達に何を伝えたいのでしょうか?、小さな子どもが「致しましょう」を読んで理解できるのでしょうか。
他にも「公園でのボール遊び禁止」「公園では静かに遊びましょう」など、子ども達が自由に遊べる場所が少なくなっているように感じます。
大人の都合や理由だけで、子ども達の自由な遊びを一方的に禁止すると、その子達は自分勝手な大人になってしまいます。
子ども達は自由な遊びをとおして想像力を育むものであり、想像力が人を思いやる優しさにつながるからです。
子どもの教育に最も必要なこと
子どもの教育について考えるとき、国・数・英・理・社の勉強ができるかどうか、出題された問題が解けるかどうか、いい中学・高校・大学進学へ進めるかどうかなど、知能指数(IQ)が基準になります。
しかし、AI(人工知能)が発達していく時代では、知能指数(IQ)を高めるよりも心の知能指数(EQ)を高める教育が必要になると思います。人間に求められる能力は「何を知っているか?」ではなく「何を生み出せるか?」に変わるからです。
想像力は幼少期の自由な遊びで育まれていきます。
例えば、子どもに「大根を抜いていいよ」と伝えると、子ども達はいろいろと想像し、仲間と協力しながら大根を抜きます。
「マッチで火をつけて」とお願いをすると、何度も失敗をしながらうまくいく方法を、自分で探し出します。
子ども達の自由な遊びには危険も伴います。転んで怪我をしたりマッチで火傷したりして、痛い思いをすることもあります。しかし、その痛みを経験することで、相手の痛みをわかるようになり、人に優しくなれます。
時には騒ぎすぎて大人から叱られることもあります。しかし、そのときに人に迷惑をかけないで遊ぶ術を考え学びます。
想像力は、自由な発想と体験や経験から育まれるものです。それが遊びの目的です。
子ども達の想像力が育つことで、いろいろなことに興味や関心を持ち、そこからその子にふさわしい本当の学びがはじまるものです。
子ども達の教育に最も必要なことは、子ども達が自由に遊びながら想像力を育めるように、環境を作り見守ることです。
それなのに子ども達の自由な遊びを大人の都合で一方的に禁止してしまうと、子どもは想像力を育むことができなくなり、スマホゲームなどで時間を潰すことになります。
想像力を育むこともできず、常に知識や暗記の勉強だけを求められて、興味や関心も持てず心から楽しいこともわからず、なんとなくスマホゲームで時間を過ごしてしまう。
これでは、人生に希望を持つことも他人を思いやることもできません。
大人は大人の都合で「迷惑かけないように遊びましょう」を「迷惑かけないように致しましょう」へ上書きします。
しかし、子ども達が何の為に遊びをするのか理解したうえで、もうすこし大きな心で子ども達の遊びを見守ることが必要なのではないでしょうか。
最後に、ミヒャエルエンデの「モモ」のご紹介します。
「おもちゃ」を「スマホ」に置き換えてみると、今の子ども達が置かれている状況に酷似します。
「とりわけ、こういうおもちゃは細かなところまで至れり尽くせりに完成されているために、子供が自分で空想を働かせる余地が全くありません。
ですから、子供たちは何時間もじっと座ったきり、ガタガタ、ギーギー、ブンブンとせわしなく動き廻るおもちゃの虜になって、それでいて本当は退屈していて眺めてばかりいます。
けれど、頭の方が空っぽでちっとも働いていないのです」
~ミヒャエル・エンデ『モモ』より引用~
まとめ
繰り返しになりますが、AI化時代に必要な能力は「何をどれだけ知っているか?ではなく、何を生み出せるか?」であり、そのために必要な能力が想像力です。
想像力は、相手のことを思いやり優しさにもつながります。
想像力を育む機会がなく、想像力が乏しい大人が増えると、自分勝手な社会になります。
最近の自分勝手な事件は、幼少期に想像力を育む機会を持てなかったことが起因しているのではと、個人的には思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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