元◯◯の肩書きは本当に必要? ― イソップ寓話に学ぶ肩書きと人間性の関係

    カウンセリングSORAの関口です。

    これまでの自分自身の人生を振り返るとともに、多くの方々から寄せられた人生相談を思い返す中で、私は「人生をより良く生きるためには、人としての生き方を学ぶことが大切だ」と実感しています。

    人としての生き方を知ることで、これから歩むべき道が少しずつ見えてくるからです。

    そこで、みなさまの人生に少しでも役立つヒントをお届けできればと思い、人としての生き方に学べる書籍を引用しながらブログを綴っています。

    しばらくの間は、「イソップ寓話」からの引用をもとに、生き方について一緒に考えていきたいと思います。

    目次
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    今日の言葉

    イソップ寓話より引用

    182)神像を運ぶ驢馬
    男が驢馬に神像を乗せて、町へと追っていた。大勢の人が行き会い、神像を拝んだが、驢馬は自分が拝まれていると思い、有頂天になって嘶き、それ以上先へは進もうとしなかった。驢馬追いは事情を悟って、棍棒でどやしつけながら言うには、「どうしようもない奴だ。驢馬のお前が人間に拝まれる、なんてことがあってたまるか」他人の善きもので自慢する者は、事情を知る者には笑われる、ということをこの話は説き明かしている。

    【引用元 岩波文庫 イソップ寓話集 著 イソップ 翻訳 中務哲朗】

    元◯◯の肩書きは本当に必要? ― イソップ寓話に学ぶ肩書きと人間性の関係

    寓話の神像を現代社会に置き換えるなら、それは「肩書き」でしょう。

    社会には、肩書きを前面に出して自分を大きく見せようとする人が少なくありません。

    「〇〇大学卒」「弁護士・医師・政治家」といった職業、あるいは「元CA」「元アナウンサー」などの経歴を使って、権威付けを図ろうとするのです。

    名刺に「元◯◯」と記している人に出会うこともあります。

    しかし、過去の肩書きが今の人間性や行動を保証するわけではありません。

    むしろ肩書きだけを強調すると、その人自身の中身への期待値が上がり、実際の姿とのギャップが目立ちやすくなります。

    もちろん、肩書きにふさわしい言動をとり、人間性と一致しているなら素晴らしいことです。

    けれど、肩書きを振りかざすほどに、その人の人格が試されるのも事実です。

    本来、人は肩書きや地位がなくても、その人自身が魅力的であれば自然と周囲に認められるものです。

    逆に、中身が伴わなければ、どんなに立派な肩書きでも寓話の驢馬のように笑われてしまうでしょう。

    今日の問いかけ

    「これまでの肩書きではなく、自分自身で人と接していますか?」

    私たちはつい、役職や経歴に頼って自分をよく見せたくなります。

    しかし、肩書きで飾っても人間性が伴わなければ、それは空虚なものです。肩書きがなくても、誠実さや人柄があれば人は必ず評価してくれるはずです。

    だからこそ、肩書きよりも人格を高めていくことを大切にしていきたいですね。

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