
カウンセリングSORAの関口です。
自分自身の人生を振り返ったとき、色々な方からの人生相談を振り返ると、人生をより良く生きて行くには、人としての生き方を学ぶことが大切だと実感しています。
人としての生き方を知ることで、これから進むべき道が見えてくるからです。
そこで、人としての生き方の学びになるような本を引用しながら1日1文のブログを書いています。
しばらくは「イソップ寓話」を引用しながら、生き方について考えていきます。
今日の言葉イソップ寓話より引用
111)石を曳き上げた漁師
漁師たちが地曳網を曳いていた。網が重いのでてっきり大漁だと思い、小躍りして喜んだが、浜に曳き寄せてみると、魚は僅かしか見えず、網の中は石や木ばかりだった。漁師たちの落胆はひととおりではなかったが、正反対のことを予期していただけに、一層この結果に腹がたったのだ。 しかし、中に一人の老人がいて言うには、「なあ、皆の衆、腹をたてるのは止めよう。悲しみというものは喜びと姉妹であるようじゃ。わしらも先にあれ程喜んだのだから、悲しみに遭うのは当然だったんじゃ」 そこで我々も、好天が続いた後は必ずや嵐になる理を弁えて、人生の移ろいやすさを見、いつまでも続く事態に有頂天になってはいけないのだ。
【引用元 岩波文庫 イソップ寓話集 著 イソップ 翻訳 中務哲朗】
「期待が裏切られる」のは、本当に相手のせい?
ネット社会では、口コミや評価があふれています。
確かに、お店や商品を選ぶ際には、口コミは貴重な参考情報になります。
しかし、その中には、どこにでも悪評を書く人がいるものです。
そうした人たちを見るたびに、私は「この人は周囲に対してどれほど高い期待を抱いて生きているのだろう」と考えさせられます。
商品やお店に対する期待値が高ければ高いほど、それが裏切られたと感じたときの失望も大きくなり、結果として悪評につながりやすくなるからです。
失望を感じたときには、それが本当に店や商品の問題なのか、それとも自分の期待が過度だったのかを、冷静に見極める必要があります。
もし、常に周囲に過剰な期待を抱き、ことごとく裏切られたと感じているとしたら、その人は次第にストレスを抱え込み、その発散の手段として悪評を書くことが習慣化してしまうかもしれません。
そのような行動が広がれば、社会全体が徐々に疲弊していくでしょう。
社会は、個人の期待にすべて応えるために存在しているわけではないのです。
期待を手放すことは、失望から自由になる第一歩だと思います。
イソップ寓話集の「石を曳き上げた漁師」を読んで、このようなことを感じました。
今日の問いかけ
「あなたは、どんなことに期待を寄せていますか?」
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