争いは正義の名のもとに―猫と鶏の正義について

    カウンセリングSORAの関口です。

    これまでの自分自身の人生を振り返るとともに、多くの方々から寄せられた人生相談を思い返す中で、私は「人生をより良く生きるためには、人としての生き方を学ぶことが大切だ」と実感しています。

    人としての生き方を知ることで、これから歩むべき道が少しずつ見えてくるからです。

    そこで、みなさまの人生に少しでも役立つヒントをお届けできればと思い、人としての生き方に学べる書籍を引用しながら、1日1文のブログを綴っています。

    しばらくの間は、「イソップ寓話」からの引用をもとに、生き方について一緒に考えていきたいと思います。

    目次
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    今日の言葉

    イソップ寓話より引用

    16)猫と鶏
    猫が雄鶏をつかまえて、もっともらしい理由をつけて食ってやりたいと思った。
    そこでまず、夜中に時を作り安眠妨害をするから、人間にとって迷惑だ、と難癖をつけた。
    鶏が、それはいつもの仕事へと起こしてあげているので、人間の役に立っているのだ、と答えると、今度は、「しかしお前は、姉妹や御袋にまで乗りかかるから、自然の掟に背く不届き者だ」と言った。
    これとても飼主の為を思ってしている、卵が沢山生まれるための配慮だ、と鶏が弁ずると、言うことがなくなった猫の奴、「お前がいつまでも言い訳に困らないからといって、俺がお前を食わぬとは思うなよ」邪を好む悪しき性分は、たとえもっともらしい口実がなくても、あからさまに悪事をなす、ということをこの話は説き明かしている。
    【引用元 岩波文庫 イソップ寓話集 著 イソップ 翻訳 中務哲朗】

    争いは正義の名のもとに―猫と鶏の正義について

    いつの時代も、なぜ戦争には「大義名分」が必要なのでしょうか。

    「抑圧された国民を解放するため」「テロによる多数の犠牲者が出たため」など、正義という名のもとに、多くの犠牲を払ってでも戦争は始まってしまいます。

    どちらの陣営も、それぞれの「正義」を掲げて戦うため、終戦への道筋が見えにくくなるのです。

    では、なぜ人間は、戦争を行う際に「正義」を必要とするのでしょうか。

    私たちの身近な場面でも、自分の「正しさ」を主張するために、他人の「誤り」を責める人がいます。

    なぜ、人は他人を責めてまで、自分の正しさを通そうとするのでしょうか。

    なぜ、猫は雄鶏を食べるために、「正しい理由」を必要としたのでしょうか。

    もしかすると、私たちには「人として正しくありたい」という本能、あるいは、社会の中で承認されたいという深い欲求があるのかもしれません。

    だからこそ、戦争を正当化するために大義名分を掲げ、人を責めるときにも「正義」を持ち出すのではないでしょうか。

    けれども、もしその本能が本当に存在するのならば、私たちは「正義の正当化」に甘んじるのではなく、もっと真剣に「人間としての正しさとは何か」を考えなければなりません。

    「正しさ」とは、他者を裁くためのものではなく、自分の心に問いかけ続けるためのものだからです。

    そうでなければ、「正義」という名のもとに身近な人々が争い、やがてそれが国家間の戦争へと発展し、最終的には正義のために地球が滅びる日が来るかもしれません。

    イソップ寓話集 の「猫と鶏」を読んで、そんなことを感じました。

    今日の問いかけ

    「あなたが大切にしている「正義」は、誰にとっての正しさでしょうか?」

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