みなさん、こんにちは。
心理カウンセリング空の関口です。
今回は「読書学」の3冊目です。
3冊目は内村鑑三著の「後世への最大遺物」です。
それでは「後世への最大遺物」読み始めてみましょう。
内村鑑三とは?
内村鑑三(うちむら・かんぞう)[1861~1930]
無教会派キリスト教伝道者・評論家。江戸の生まれ。一高教授のとき、教育勅語に対する敬礼を拒否して免職となる。日露戦争に際し、非戦論を唱えた。
デジタル大辞泉より引用
後世への最大遺物とは?
「後世への最大遺物」は内村鑑三が明治27年に講演したもの。
内村鑑三が語る、後世に残す遺物とは以下の4つ。
- お金
- 事業
- 思想
- 高尚なる勇ましい生涯
後世へ残すものの中で一番大切なものが「お金」
それは、お金持ちになって個人資産を残すという意味ではなく、国家の為に後世の人々が使えるようにするため。
金を 儲けることは己れのために儲けるのではない、神の正しい道によって、天地宇宙の正当なる法則にしたがって、富を国家のために使うのであるという実業の精神がわれわれのなかに起こらんこと
次に、内村鑑三はお金が残せない人は「事業」を残せと語っている。
後世へ残せる事業とは主に土木を指している。
この山をくりぬいて湖水の水をとり、水田を興してやったならば、それが後生へおの大なる遺物ではないか
「お金」も「事業」も残せないのであれば「思想」を残せと語っている。
思想を遺すと言うことは大事業であります。
もしわれわれが事業を残すことができぬならば、思想を遺してそういう将来にいたってわれわれの事業を残すことができると思う。
ひとりの人生をとおして感じ得た「思想」は、後世の人々の事業につながってくると考えているようだ。
最後に、「お金」も「事業」も「思想」も残せないのであれば、「高尚なる勇ましい生涯」を残せと語っている。
人間が後世に遺すことのできる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。
それは何であるかならば 勇ましい高尚なる生涯
高尚なる勇ましい生涯とは?
高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと、この世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。
失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。
この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。
高尚なる勇ましい生涯とは、生きている中で苦しみや悲しみがあるけれど、その先には必ず希望があると信じて生き抜くということ。
他の人の行くことを嫌うところへ行け。
他の人の嫌がることをなせ
人がやらないことにチャレンジして、試練に立ち向かっていけと内村鑑三は語っている。
邪魔があればあるほどわれわれの事業ができる。
勇ましい生涯と事業を後世に遺すことができる。
とにかく反対があればあるほど面白い。
われわれに友達がない、われわれに金がない、われわれに学問がないというのが面白い。
われわれが神の恩恵を享け、われわれの信仰によってこれらの不足に打ち勝つことができれば、われわれは非常な事業を遺すものである。
試練に立ち向かい、そこから何かを見いだすことができれば、それが後生にとっての最大の遺物になる。
後世のために私は弱いものを助けてやった、後世のために私はこれだけの艱難に打ち勝ってみた、後世のために私はこれだけの品性を修練してみた、後世のために私はこれだけの義俠心を実行してみた、後世のために私はこれだけの情実に勝ってみた、という話を持ってふたたびここに集まりたいと考えます。
まとめ
現代の私たちが便利で豊かな生活ができるのも、前世の人々が様々な試練に立ち向かったから。
では、便利で豊かな生活をしている私たちは、私たちの後世に何を残せるのだろうか?
便利で豊かな生活ができるから、何も考えずに生きることもできる。
でも、それでは後世に何も残せない。
ひとりひとりが自分の人生と向き合い、そこから語れるものができたとき、それが後世に残せる遺物になるのだと、本を読んで感じました。
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