
カウンセリングSORAの関口です。
これまでの自分自身の人生を振り返るとともに、多くの方々から寄せられた人生相談を思い返す中で、私は「人生をより良く生きるためには、人としての生き方を学ぶことが大切だ」と実感しています。
人としての生き方を知ることで、これから歩むべき道が少しずつ見えてくるからです。
そこで、みなさまの人生に少しでも役立つヒントをお届けできればと思い、人としての生き方に学べる書籍を引用しながらブログを綴っています。
しばらくの間は、「イソップ寓話」からの引用をもとに、生き方について一緒に考えていきたいと思います。
今日の言葉
イソップ寓話より引用
99)神像売り
ある男が木彫りのヘルメス像をこしらえて、市場へ売りに行った。
さっぱり買い手がつかないので、人寄せをしようと、商売繁盛の福の神はいらんかね、と大声を張りあげた。
すると、その場に居あわせた男が、「おい、そんなに有難いものをどうして売るのだ。自分がそのご利益にあずかればよいのに」と野次るので、答えて言うには、
「俺には手っ取り早いご利益が必要なのに、この神様はゆっくりとしか儲けを授けて下さらないからさ」
恥ずべき儲けを追い、神々をも顧みない男にこの話はぴったりだ。【引用元:岩波文庫『イソップ寓話集』著:イソップ 訳:中務哲朗】
ご利益だけを求める信仰は危険?イソップ寓話『神像売り』に学ぶ信じる心
神像売りの男は、ヘルメスの神様に「手っ取り早い利益」を求めました。
しかし、その願いは叶えられず、男はついに神様の像を売ろうとします。
彼にとって“神”とは、早く利益をもたらしてくれる「便利な存在」にすぎなかったのです。
こうした姿勢は、現代においてもよく見られる光景ではないでしょうか。
先の見えない時代には、不安から安心を求めて、宗教やスピリチュアルが流行することがあります。
もちろん、それらを信じることで心が安定するのは、決して悪いことではありません。
しかし、「神を信じれば魂が救われる」「ご利益が得られる」「信じれば幸せになれる」といった考えが行き過ぎると、逆に「信じなければ魂が救われない」「買わなければ損をする」「信じないと不幸になる」といった、恐れに基づいた信仰へと変質してしまいます。
それはまさに、神様に対して“神像売り”と同じように、自らの利益を求める姿勢といえるでしょう。
つまり、信仰の対象としての“神そのもの”ではなく、「ご利益が欲しいから信じている」という状態です。
そして、期待したご利益が得られないと、これまで信じていた神様を手放し、また新たな神様を求めて彷徨い続けることになります。
本来、神とは「存在そのもの」を信じ、今この瞬間の自分の命に感謝する対象であり、何かの対価を求める相手ではありません。
そのことに気づけないままでいると、死ぬまで「自分に利益をもたらしてくれる神様」を探し続けることになってしまうでしょう。
これはまさに、イソップ寓話の神像売りの男と同じ姿ではないでしょうか。
「神像売り」の物語を読んで、私はそんなことを感じました。
今日の問いかけ
「あなたにとっての神様とは、どんな存在ですか?」
「困った時の神頼み」という言葉があるように、私たちは困難に直面したとき、神様に救いを求めることがあります。
けれども、もしあなた自身が「神」だったとしたら——
日頃は見向きもされず、困った時だけ頼ってくる人を、心から助けたいと思うでしょうか。
私だったら、やはり日頃から感謝の心を向けてくれている人を、まず助けたいと思うものです。
きっと、神様だって同じなのではないでしょうか。
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