みなさん、こんにちは。
カウンセリングSORAの関口です。
最近は「インスタ映え」のように、SNSでどれだけ映える写真をUP出来るかが重要視されているようです。
美味しい料理よりも映える料理が、何もない静寂なところよりも映える対象物があるところが人気になっているようです。
個人手には「インスタ映え」という言葉が嫌いです。
「映える」ことを追求すると、競争が生まれ、地味なことを受け入れられなくなってしまうからです。
今日はそのことについて書いていきます。
心の中に「映え」や「いいね」を見つけよう
本来、「映える」には2つの意味があります。
- 明るい光に照らされて輝く。あざやかに見える。
- 周囲のものとの対比によって一段と美しさが目立つ。
~大辞林より引用~
では、「インスタ映え」の「映え」は、どちらの意味で使われているのでしょうか。
「周囲のものとの対比によって一段と美しさが目立つ」という意味で使われていると思います。
そのため、多くの人が「映える写真」をSNSに投稿するのでしょう。
もちろん、それを心から純粋に楽しんでいるのであれば良いことです。
しかし、人との比較でインスタ映えを追い求めすぎると、映えなくても美味しい料理を楽しめなくなったり、刺激的で映えそうな場所ばかりを探し求めたりするようになります。
そして、やがては映えない平凡な日常や自分自身を受け入れられなくなるかもしれません。
人より「映えたい」という欲求が肥大化し、「映えるためにはどうするか」ばかりを追い求めると、心の中で影が広がり、地味な生活や自分自身を受け入れられなくなってしまう可能性があります。
光が強くなれば影は濃くなります。「映え」が光だとすると、「映えない」が影となるのです。
でも、私たちのリアルな日常は、時々「映える」瞬間があるものの、大半は地味な出来事の連続ではないでしょうか。
その中で大切なことは、映えない平凡な日常の中から、心から感じる美しさや喜びを見つけることです。
インスタに投稿しても映えない写真でも、心の中で映えればそれだけで幸せなのです。
本来、「映える」とは、あなたの心の中で明るい光に照らされて輝く、あざやかに見えるものなのですから。
まとめ
人の評価よりも、自分自身の感性で「映える」ものを見つけていけたらいいですね。
人からの「いいね」よりも、自分の心からの「いいね」をどれだけ感じられるか。
自分の感性で感じる「映え」こそが最高であり、SNSに投稿する必要はないのかもしれません。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
コメント