二宮金次郎像から子どもたちに伝えること

みなさん、こんにちは。

心理カウンセリング空の関口です。

先日、都内を歩いていたとき、小学校跡地に「二宮金次郎」の石像を見つけました。街の開発と学校の統廃合で校舎はなくなってしまいましたが、二宮金次郎像が記念として残されていました。

薪を背負い本を読みながら歩く少年時代の二宮金次郎の石像。

昔は、多くの小学校に二宮金次郎の石像が置かれていたそうですが、老朽化による倒壊の恐れや、歩きスマホを助長するなどの理由で、最近では見かけることがありません。

石像だけを見て、「倒壊が危険だ」とか「歩きスマホを助長する」と言うのは正論なのかもしれません。

しかし、なぜ昔の人は小学校に「二宮金次郎」の石像を設置したのでしょうか?、そこにどんな意味や目的があったのでしょうか?

その意味や目的を理解しておかないと、今の子どもたちに本当に伝えるべきことが伝えられないようにも感じます。

そこで、今日は内村鑑三著の「代表的日本人」を参考にしながら、二宮金次郎像が小学校に置かれた背景について考えていきたいと思います。

目次
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二宮金次郎とは?

二宮金次郎[1787~1856]

江戸後期の農政家・思想家。相模の人。

通称、金次郎。農家に生まれ、没落した家を再興。のち、諸藩・諸村の復興に尽力、幕臣となった。

徹底した実践主義者で、その思想・行動は報徳社運動として受け継がれた。

~デジタル大辞泉より引用~

金次郎は貧しい農家の出身でありながら「大学」などの儒教を学び、それを実践し小さな地主となる。

その後、小田原藩主に手腕を認められ90カ所以上の荒廃した村を復興させる。

内村鑑三[1861-1930]が海外向けに書いた「代表的日本人」の5人のうちのひとりとして二宮金次郎が紹介されている。

二宮金次郎が薪を背負い歩きながら本を読んでいる理由

続いて、幼少時代の二宮金次郎が薪を背負い歩きながら本を読んでいる理由について、「代表的日本人」を参考にしながら考えていきます。

二宮金次郎は、1787年に生まれ。

父は相模の国の名もない村の、ごく貧しい農夫でしたが、近隣の人々には、情け深いことと公共心の厚いことで知られていました。

16歳のとき、金次郎は親を亡くしました。親族会の結果、あわれにも一家はひき離されて、長男の金次郎は、父方の伯父の世話を受けることになりました。

伯父の家にあって、金次郎は、できるだけ伯父の厄介になるまいとして、懸命に働きました。金次郎は一人前の大人の仕事ができないことを嘆き、若年のために日中に成し遂げられなかった仕事を、いつも真夜中遅くまでつづけて仕上げました。

そのころ金次郎の心には、古人の学問に対して「目明き見えず」、すなわち字の読めない人間にはなりたくないとの思いが起こりました。そこで孔子の『大学』を一冊入手、一日の全仕事を終えたあとの深夜に、その古典の勉強に熱心につとめました。

ところが、やがて、その勉強は伯父に見つかりました。伯父は「自分にはなんの役にも立たず、若者自身にも実際に役立つとは思われない勉強のために、貴重な灯油を使うとはなにごとか」とこっぴどく叱りました。

金次郎は、伯父の怒るのはもっともと考えて、自分の油で明かりを燃やせるようになるまで、勉強をあきらめました。

こうして翌春、金次郎は川岸のわずかな空き地を開墾して、アブラナの種を蒔き、休日をあげて自分の作物の栽培にいそしみました。

1年が過ぎ、大きな袋一杯の菜種を手にしました。自分の手でえた収穫であります。誠実な労働の報酬として「自然」から授かったものであります。

金次郎は、この菜種を近くの油屋へ持参し、油数升と交換しました。

金次郎は今や、伯父のものによることなく、勉強を再開できると考え、言いようのない嬉しさを感じていました。

勇んで金次郎は夜の勉強を再開しました。自分の、このような忍耐と勤勉とに対し、伯父からは、ほめ言葉があるのではないかと、少しは期待した面もありました。

しかし、違った!伯父は「おれが面倒を見てやっているのだから、おまえの時間はおれのものだ、おまえたちを読書のような無駄なことに従わせる余裕はない」と言いました。

金次郎は、今度も伯父の言うことは当然だと思いました。言い付けにしたがって、一日の田畑の重い労働が終わったあとも、むしろ織りやわらじ作りに励みました。

それ以後、金次郎の勉強は、伯父の家のために、毎日、干し草や薪を取りに山に行く往復の道でなされました。

その後、金次郎は洪水により沼地に化したところを村のなかで見つけました。

そこは、自分の休みを有益な目的に使える絶好な場になると思いました。沼から水をくみ出し、底をならし、こぢんまりした田圃になるようにしました。その田に、いつも農民から捨てられている余った苗を拾ってきて植え、夏中、怠らずに世話をしました。秋には、二俵もの見事な米が実りました。

一人の孤児が、つつましい努力の報酬として、人生ではじめて生活の糧をえた喜びのほどは、容易に想像されます。

この秋、金次郎がえた米は、その後の波乱に富んだ生涯の開始にあたり、その資金になりました。

金次郎は、「自然」は、正直に努める者の味方であることを学びました。

金次郎の、その後の改革に対する考えはすべて、「自然」は、その法にしたがう者には豊かに報いる、という簡単なことわりに基づいていたのであります。

数年後、金次郎は叔父の家を去り、村のなかの不用の荒地を耕し、実りある土地へと変えて、やがて小田原藩主から声がかかります。

参考資料

内村鑑三著「代表的日本人」より

二宮金次郎像から子どもたちに伝えること

さて、ここにひとりの少年の石像があります。

この少年は、薪を担ぎながら本を読んで歩いています。

この石像を見たとき、あなただったらどう感じますか?

きっと、今の時代の子どもたちだったら

「ながらスマホをして危険だ」

「子どもが働かされている、児童虐待だ」

「なんの本を読んでいるのだろう?」

などなど、同じ石像を見ても1人ひとり様々な意見がでてくると思う。

大事なことは、ひとつの石像を見たときに、子ども達に自分の意見を考えさせること。

そのうえで、先生が二宮金次郎の話を伝えて、再び石像を見てどう感じたのかを、改めて考えさせること。

そうやって、昔の先生は二宮金次郎の石像を使って、人間が働く意義や勉強する目的などを伝えていたのではないだろうか?

石像だけを見て「倒壊の恐れがあるから」 「歩きスマホを助長させるから」と正論を述べ、石像を撤去させることは簡単なこと。

しかし、そうやって大人の一方的な価値観だけで、大切な何かを学ぶ機会を子ども達から奪っていないだろうか?

子どもに「勉強しなさい!」とばかり言って、なんのために勉強するのかを伝えられているのだろうか?

ひとつの石像を見たときに「歩きスマホを助長する」としか言えない大人と、石像の背景までを語れる大人、今の子ども達にどちらの大人になってほしいと思うだろうか?

最後に、代表的日本人の一節を紹介します。

19世紀のはじめ、日本農業は、実に悲惨な状態にありました。

200年の長期にわたってつづいた泰平の世は、あらゆる階層を問わず人々の間に賛沢と散財の風をもたらしました。

怠惰な心が生じ、その直接の被害を受けたのは耕地でありました。多くの地方で士地からあがる収入は3分の2に減りました。

かつて実り豊かであった土地には、アザミとイバラがはびこりました。耕地として残された、わずかな土地でもって、課せられた税のすべてをまかなわなければなりません。

どの村にもひどい荒廃が見られるようになりました。正直に働くことのわずらわしくなった人々は、身を持ち崩すようになりました。

慈愛に富む大地に豊かな恵みを求めようとはしなくなりました。

代わって、望みない生活を維持するため、相互にごまかしあい、だましあって、わずかの必需品をえようとしました。

諸悪の根源はすべて道徳にありました。

「自然」は、その恥ずべき子供たちには報酬を与えず、ありとあらゆる災害を引き起こして、地におよぼしました。

歴史は繰り返すと言います。19世紀のはじめと、21世紀のはじめ、なんとなく似ているように感じるのは、私だけでしょうか。

まとめ

二宮金次郎の幼少時代は、きびしい叔父の家で仕事が優先され勉強することを認めてもらえませんでした。

そこで金次郎は、山から家までの薪を運ぶ途中に「大学」を読みました。

この一説が二宮金次郎の石像となっています。

ところで、なぜ金次郎はそこまでして勉強をしたかったのでしょうか?

いい大学に入るため?それとも1流企業に入社するため?

きっと、金次郎はお父さんのような公共心の厚い人間になりたいと思っていたのではないでしょうか?

だから、読む書物も「大学」などの儒教だったのではないかと、私は思います。

金次郎にとって、勉強はさせられるものではなくするものだったのでしょう。それは、知識や知見を持つことでしか、公共心の厚い大人にはなれないことを、金次郎は理解していたからだと思います。

今の大人は、子ども達にどんな物語を伝えられているのだろう?

目先のことばかりを伝えて、人として本当に大切なことを伝えられているのだろうか?

小学校の跡地に残されてしまった金次郎の石像を見て、そんなことを感じました。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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