
カウンセリングSORAの関口です。
自分自身の人生を振り返ったとき、色々な方からの人生相談を振り返ると、人生をより良く生きて行くには、人としての生き方を学ぶことが大切だと実感しています。
人としての生き方を知ることで、これから進むべき道が見えてくるからです。
そこで、人としての生き方の学びになるような本を引用しながら1日1文のブログを書いています。
しばらくは「二宮金次郎 夜話」を引用しながら、生き方について考えていきます。
今日の言葉
二宮翁夜話より引用
140)誠に農業に志さば凶歳なし
翁のことばに、私が飢きん救済のために、下野・常陸・梅模・駿河・伊豆の諸村を巡回して見聞したところ、凶歳だといっても、平常出精の人の田畑はみのりが相応にあって、飢えに及ぶというほどにはなっていなかった。「丹精は誰しらねどもおのずから秋のみのりのまさる数々」と私がよんだとおりなのだ。論語(里仁篇)に、「まことに仁に志さば悪なし」といっているが、まさに至理というべきだ。この道理を推して、まことに農業に志せば凶歳なしといってよいし、従ってまた、まことに商法に志せば不景気なしといってよいだろう。 そなたたち、よく励むがよい。
【引用 二宮翁夜話(上) 福住正兄:原著 佐々井典比古:訳注】
未来の安心を買うより、今を真摯に生きる
大規模な自然災害や各国での戦争、暴動により、地球環境の悪化を感じる今日この頃です。
世界情勢が不安定になると、金の価値が高まる傾向にあります。
実際に、金の価格は現在高騰しています。
なぜ人々は世界が不安定になると金を求めるのでしょうか。
金は世界共通の価値を持ち、どの国でも安定して売買できることが、人々に安心感を与えているのです。
ですが、人間は金だけでは生きていけません。
金の価値は、何かと交換する時にのみ生まれます。
つまり、金自体には本質的な価値がないのです。
私たちは本能的に生きることを求めています。
金を求めるのは、飢饉の時に食糧と交換できるという前提があるからでしょう。
しかし、実際に飢饉が起これば、食べられない金よりも食べられる食糧の方が価値を持つはずです。金と食糧が交換できるという前提自体に疑問を感じます。
二宮金次郎は、飢饉の時代でさえ、日々真摯に田畑を育てていた地域では飢饉の影響がなかったと語っています。
彼は、日々誠実に仕事に取り組むことで、将来への不安がなくなると述べているのです。
今、私たちが求めるべきは、未来への不安から逃れるための投資ではありません。目の前にあることを、人道に基づいて真摯に行うことではないでしょうか。
私は二宮金次郎の夜話140段「誠に農業に志さば凶歳なし」を読んで、このようなことを感じました。
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